2019年08月29日

優しさあふれるアメリカ70年代のジャズ

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写真 明日に向かって撃て、スタイリスティックス、ダイアナ・ロス、コモドアーズ
コミュニティFMの音楽番組、今回は70年代のアメリカのジャズ、ポップスです。
 1968年の大統領選ではローバート・ケネディー亡き後の民主党の混乱に乗じて、共和党から立ったニクソンが大統領になった。経済面では1971年、ドルの金兌換性が廃止され(ニクソンショック)、ドルが急速に低下し、輸出は伸びたが、物価高を招いた。そんな中で1973年には、石油輸出のアラブ諸国がアメリカへの石油を止めたため、オイル・ショックで市民生活は混乱した。しかし、米ソ両大国がデタントに踏み切り、75年にはサイゴンが陥落し、平和への希望が生まれた時でもあった。音楽の面では、人々はやさしさを追い求めた。6月26日放送

1. 雨にぬれても Raindrops keep falling on my head,1969年、BJトーマス
1969年、映画「明日に向かって撃て」(ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演)の主題歌。この映画は70年初頭を飾ったニューシネマの代表作。実在の二人組の銀行強盗がアメリカの西部を駆け抜ける。曲は70年に全米1位を記録した。BJトーマスはカントリー歌手として知られる。
2. 誓い、You make me feel brand new, 1974年,スタイリスティックス
1968年にフィラデルフィアで結成、ソウルブームを生んだ、5人組、今でも時折CMに登場する
3. マホガニーのテーマ、1975年 ダイアナ・ロス
ソウルの女王といわれるダイアナ・ロス。シュープリームスのリードシンガー、69年からソロになった。同名の映画の主題歌。Do you know where are you going? という歌詞で知られる。
4. 永遠の人にささげる歌、1978年、コモドアーズ
バラードの時代の、冒頭を飾った曲、78年全米1位。作曲家でありヴォーカリストでもあるライオネル・リッチーの名を世に出した。「君が与えてくれた時間にありがとう、思い出の数々すべて心に刻んだよ」と歌う・
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N国党の正体は?  隅井孝雄

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 NHKが8月9日から3日間「受信料をお支払いください」との異例の3分番組を放送した(松原洋一理事の出演)。続いて政府が「NHKと受信契約した者は受信料支払い義務がある」との答弁書を閣議決定した(8/16毎日)。
 参院選で「NHKから国民を守る党」(N国党)の立花孝志氏(元NHK職員)が比例当選したことからにわかに、受信料がクローズアップされた。ほかならぬNHKの政見放送で「NHKをぶっ壊せ」と叫んだことに人々が興味をもったことが想像できる。ネット上の選挙運動自由化に乗じ、映像をユーチューブでも流した。再生回数は300万回以上にも達した(7/25朝日新聞)。
 立花氏の主張は「スクランブル放送の実施」だ。もともとはごちゃまぜ、暗号の意味だが、放送やネットでは「有料課金放送(映像)」をさす。放送法は「受信設備をした者はNHKと契約しなければならない」としている。公共放送への信頼が受信料の基本だとする「双務契約説」が以前は有力だった。ところが2017年最高裁が「受信料制度は合憲」と判断、番組や報道への不満を訴える不払い裁判は次々に敗訴する事態となったことで、立花氏への同調者がふえた面もある。 
 NHKはネット同時送信を近々始める準備中。受信料を払っていない人のパソコンや携帯には「支払ってください」とのスクランブル画面をかけるとみられる。NHKの主張も矛盾がある。立花氏の議員会館室にテレビが設置されたが「踏み倒す」と公然と発言した。
 しかしN国党とNHKの受信料争いを面白がって見ている場合ではない。北方領土を戦争で取り戻すという丸山穂高氏がN国党に加入。さらに渡辺喜美氏と語らい、「みんなの党」を参院会派として復活させた。その上立花氏は「スクランブル放送の実現に安倍政権が同調すれば憲法改正の国会発議に賛同する」(7/30時事通信)と述べた。新たな右翼グループの誕生で、改憲2/3にあと一歩との見方もある。
 NHKが政権寄りの報道をやめ、公共性を回復するには、7,122億円の受信料(2018年)でNHKを支える市民、視聴者の強力な働きかけ以外にない。 (すみいたかお ジャーナリスト)
 赤旗、ラジオテレビ欄「波動」8月26日掲載
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2019年08月25日

JCJ贈賞式で前川喜平氏講演(8月17日)、NHK特ダネ見送り、読売スキャンダル報道の経緯語る、映画「新聞記者」を称賛

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写真、1.熱弁振るう前川喜平氏、2.JCJ賞受賞者たち、3.JCJ賞贈賞式に参加の隅井
8月17日、」日本ジャーナリスト会議JCJの贈賞式が日本プレスセンターで開催された。そこで妻美沙子とともに、新幹線で東京へ。会場に着くと、すでに満席、多くの人の席がなく、立ち見状態(私たちは運よく座れたが)。例年の倍、600人以上が詰めかけていた。主な理由は贈賞に先立つ講演が前川喜平さん(元文科賞事務次官)であったためではないか。人々は加計学園事件や森友事件の真相を知りたい、いまだ何も解決していない、という強い思いを持っていることがうかがわれる。
講演は「安倍内閣とメディア」というタイトル。内部文書を出したのは現役の官僚であることが講演の中で明かされた。また、NHK社会部の記者たちが数回にわたって前川氏にインタビューしたが、特ダネであったのに上層部の指示で放送されなかった、ことなどを語った。東京新聞望月衣塑子記者のサジェスチョンもあり、17年5月25日の記者会見に至ったというくだりも、興味深く聞いた。加計学園の文書が文科省で作成されたものだという特ダネインタビューの件は、間接的に聞き及んでいたが、ご本人の口から直接聞いたのは収穫だった。
 ほかに読売新聞が前川氏のスキャンダル報道を行った経緯も直接語った。また映画「新聞記者」で描かれた内閣情報調査室や官僚社会は実態を写し取っていて、真実を描いているとの評価も語られた。
 引き続き行われたJCJ賞贈賞式では以下の新聞報道、テレビ番組、書籍が受賞した。
 JCJ大賞「税を追うキャンペーン」(東京新聞)、JCJ賞、「イージスアショア配備を巡る一連の報道」(秋田魁新報)、「想画と綴り方〜戦争が奪った子供たちの心」(山形放送)、「ETV特集、誰が命を救うのか、医師たちの原発事故」(NHK) 、「図説17都県、放射能測定マップ」(みんなのデーターサイト出版)
 なおJCJ賞に秋田、山形の東北2県から揃って選ばれたのは初めてのことである。
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2019年08月22日

「NHKから国民を守る党」の怪しい正体は? 期待は「れいわ新選組」

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参院選で「NHKから国民を守る党」(N国)が比例で当選したことが話題となった。ほかならぬNHK政見放送で「NHKをぶっ壊せ」と叫んだことから」、市民の好奇心を煽り、ユーチューブで300万回も視聴された。しかし同じくSNS上で大ブレークした山田太郎氏の「れいわ新選組」が」政治改革の先頭を走る。
立花孝志氏とは何者?
「NHKをぶっ壊す」と叫んで国政に進出した立花孝志氏は、元NHK職員だ。不正経理に絡んで懲戒処分、2005年に退職、一時期「みんなの党」に出入りしていた。
2013年「NHK国民のから国民を守る党」を結成、その後大阪や東京で地方議会選に立候補、落選を繰り返した後、2015年船橋市議会議員に。しかし任期半ばで辞任、2016年以降都知事選、堺市長選などで落選を重ねる一方、地方議員に候補をたて、一部で当選者を出すようになった。19年4月の統一地方選で地方議会に26人が当選、余勢を駆って参院選に挑戦することとなった。立花氏の得票は99万票、1.97%だが、全国各地のN国候補の合計得票率が3.02%と政党要件2%を上回ったことから比例当選を果たした。
物珍しさ消え、右寄り傾向見せる
当選直後「北方領土を戦争で取り返す」と発言し糾弾決議を受けた丸山穂高衆院議員を入党させ、更に参院渡辺喜美参院議員と統一会派を組み「みんなの党」を名乗ることになる。
しかし「みんなの党」が表立ち、N国党がかすむという自己矛盾となる。「物珍しさ」はすっかり消えた。不祥事に関連した元自民議員などの加入を呼びかける一方、NHKのスクランブル化(NHKを見ない人は払わなくていい)を首相が認めれば、憲法改正に賛成するという発言や、ネトウヨ的言動に批判が高まっている。
8月10日N国は臨時総会を開いた。ジャーナリストの上杉隆氏を幹事長に起用、政党の体制を一応整ようとした。来年の都知事選、次期衆院選に挑むというが、右寄り傾向という正体を見せたことで、政党としての発展は閉ざされたと私はみる。
NHKの在り方を問う市民運動とは無縁
2014年以降3年間はNHK会長籾井勝人(当時)の「政府が右と言えば左と言えない」と発言、受信料不払いを宣言する人が多数出た。NHKに対する不信感は今も続く。しかし2017年12月、最高裁が受信料の支払い義務は合憲だと判断を示した。そのため、番組に対する不満から不払する視聴者の「権利」は成り立たず、受信料裁判は視聴者の敗訴が続いている。
私自身京都で「NHKを憂うる会」(現「NHK・メディアの会京都」)で籾井会長の辞任とNHKの安倍政権寄りの報道姿勢を正そうとしてきた。そのため“「N国党」とはどんな関係か”と選挙中よく聞かれた。“「まともな公共放送を取り戻そう」という市民運動とは全く異なる”が私の答えだ。
期待すべきは山本太郎の「れいわ」
一方、比例で4.55%(228万票)という驚異的な支持を得た山本太郎氏の「れいわ新選組」はSNS上で注目を浴びた点ではN国と似ているが、政治の変革という意味では全く違う。明確な選挙公約持ち、弱者代表といえる車いすの重度障碍者を二人も議会に送り込み、若者、無党派の支持が圧倒的だ。
選挙後インタビュー(8/7毎日新聞)に答えた「れいわ」代表の山本太郎氏は、次期衆院選で独自候補100人を擁立すると発言、また「大きく壊されてきたこの国を歯止めする」ために新しい角度から野党の足並みをそろえたいと語った。
選挙の度に絶望が繰り返されたが、「れいわ」の躍進は、日本の政治の転換につながるかもしれないとの期待を持つ。

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2019年08月09日

映画「原爆の子」、広島の被爆を初めて描いた映画、被爆直後かとも思えるリアリティー、8月6日、京都文化博物館で見る、乙羽信子主演、懐かしの民芸俳優陣総出演、

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 8月6、原爆投下の日だ。原爆が落ちてから7年後1952年(昭和27年)に制作された映画「原爆の子」を我が家の近くの京都文化博物館試写室で見た。
 乙羽信子が大映を飛び出して主演、民芸演劇人総出演
この映画に「石川孝子」役で主演した乙羽信子のごく初期の作品だ。監督・脚本は近代映画協会の新藤兼人。当初大映との共同制作として企画されたが、政治的影響を懸念して大映が降りたため、劇団民芸の協力を得て制作された。そのため出演者のほとんどが、滝沢修、北林谷栄、清水将夫、細川ちか子、小夜福子、宇野重吉、芦田伸介ら、子役以外は端役に至るまで、民芸の役者で固められた。乙羽信子はこの映画を機に大映をやめ、近代映協に移った。
教え子を訪ね歩く街には瓦礫、バラックが
 映画は原爆投下後7年が経過した広島に久しぶりに戻った乙羽信子(役名は石川孝子)が、教えていた幼稚園の園児たち訪ねて歩くという設定。実家の両親は原爆の直撃でなくなるが、その間偶然実家でお手伝いさんをしていた岩吉じいさん(滝沢修)に出会い、孤児になった3歳の孫息子を引き取ろうと心を砕く。
 画面にはまだ瓦礫が残り、建物も多くがバラック。原爆ドームも被爆時のまま、その近くで後の原爆資料館の一部の建設が始まり、むき出しのコンクリートが並ぶシーンも出てくる。橋も欄干が欠けたままの姿で映画に出てくる。
 復興未だしの広島、目の当たり
 人々の多くが後遺症に苦しみ、死去するシーンもある。孤児たちを収容する施設も映画の中で説明される。子供たちは瓦礫を運び出し菜園作りに精を出し、自給自足だ。
 映画は、被爆直後の広島を想像させるに十分なリアリティ―を持っている。復興が緒に就き初めたのは1954年、瓦礫やバラックの撤去が進み、丹下健三のプランによる平和公園ができた1955以降である。
ちなみに、風化により崩落の危険にさらされた原爆ドームは1967年から保存工事が重ねられ、2016年第4回工事で現在の姿となった。この間原爆ドームは1995年、国の史跡に指定され、1996年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
 プレスコードで知られざる広島初めての映画
この映画は、前年の1951年(昭和26年)に岩波書店から刊行された「原爆の子、広島の少年少女のうったえ」(長田新編)が原作。
 占領下で占領軍によるプレスコードのもと、ほとんど知られていなかった原爆被害の実相を初めて明らかにした。占領軍によるプレスコードという名の検閲消滅によって、原爆の悲惨な事実が公に語れるようになったからである。(サンフランシスコ平和条約1951年9月8日調印、1952年4月28日発効)。
原爆を取り上げた最初の映画として、日本国内はもとより世界的な反響を呼んだ。
(注、プレスコード第4項には「連合国進駐軍に関し、破壊的に批評し、また軍に対して不信又は憤激を招くような記事は、一切掲載してはならない」。とある)。

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