2018年04月12日

映画評「ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書」(原題、The Post)、スティーブン・スピルバーグの最新作、主演、メリル・ストリープ、トム・ハンクス

1804 機密報告2259068ccc2259ab6fbe3504c68885c7.jpg1804 機密報告IMG_4210.JPG1804 機密報告IMG_4211.JPG
 4月2日 映画「ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書」(原題はThe Post)を見た。メリル・ストリープとトム・ハンクスの息の合った好演が光る。スティーブン・スピルバーグの映画だが、テーマそのものが私と同時代、監督、主演が同世代だった。久しぶりにアメリカ映画のだいご味を堪能した。
 アメリカではペンタゴンペーパー事件で基幹メディアが手にしたのは単なる言論表現の自由を超え、メディアが大統領と闘う権利であった。今でも米市民の「知る権利」を擁護する闘いは、トランプ政権の下で継続している。

 ▼ニューヨークタイムズ、政権が掲載禁止に、ワシントンポスト連帯して掲載
ベトナム機密文書事件は1971年に起きた。私が現役だった時代に起きたこの「事件」はその後の私のジャーナリスト人生に忘れがたい大きな影響を与えた。
 1971年6月13日、ニューヨークタイムズが1967年当時国務長官だったロバート・マクナマラが作成を命じた「ベトナム政策決定の歴史」と題した機密文書を紙面に掲載した。
 機密文書を内部告発したのはシンクタンク、ランド研究所の軍事アナリストダニエル・エルズバーグ、書いたのは敏腕のニール・シーハン記者だった。
 機密文書によれば、歴代の大統領(アイゼンハワー、ケネディー、ジョンソン、そしてニクソンも)ベトナム戦争に関し、国民を偽り続けてきたことが克明に明らかにされていた。ニクソンは、国家の安全が侵されるとして、記事差し止めの仮処分を申し立て、ニューヨークタイムズは翌日以降記事を出せなくなった。
 映画はその後、同じくペンタゴンペーパーを入手したワシントンポストで社主のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドレー(トム・ハンクス)の二人の動きに焦点を当て、ポストが社の命運をかけて6月18日、掲載に踏み来るまでの様々な葛藤、人間ドラマを描き出す。
 6月30日、アメリカ最高裁判所は「報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治に仕えるものではない。報道機関が政府を批判する権利は永久に存続する」として機密報告書の掲載は「国民の知る権利にこたえるものだ」との判断を下した。
 その後現在に至るまで、アメリカのジャーナリズムはこの判決を、すべての取材と報道の規範としている。トランプ政権と正面から闘う米主要メディアのよりどころも、この「最高裁判決」にあるといえる。この映画は言外にそのことを示唆している。

 ▼70年代、時代と新聞を35ミリフィルムで再現
 スピルバーグと撮影監督のヤヌス・カミンスキーがこの作品を35ミリフィルムで撮影した。1970年代をリアルに再現したいと望んだのだった。ワシントンポストの編集室は実際にあったとおりに再現された。当時の記者たちが使ったと同じ型の本物のタイプライターが記者一人一人のデスクの上に並び、鉛を流し込んで印刷版型を作るライノタイプもヴィンテージ物が使われ、輪転印刷機もブロンクスに現存しているものが使われた。またエルズバーグが使ったコピー機も博物館に一台だけ保存されていたゼロックス914が使われた。 
 編集室には一台のテレビがあり、当時ニュースアンカーの第一人者だったウオルター・クロンカイト(CBS)が、「ニクソンによって記事が差し止められた」とニュース報じる画面が映し出された。
 以前新聞社で使われていた、原稿を一瞬にして圧縮空気で送る「気送管」(エアー・シューター)も登場する。輪転機が回り機密文書を掲載した紙面が次々に束になって送り出される光景は、まさに私自身がその場に立ち会っているような感慨を覚えた。
 
 ▼日本で実らなかった「知る権利」。
 ベトナム戦争のさなか、日本テレビではベトナム戦争のドキュメンタリーが、政府からの直接の干渉で差し止められた(1965年)。TBSでは田英夫キャスターが空爆下の北ベトナムで取材した特集が放送されたが、社長に呼ばれ解任されTBSを去った(1968年)。朝日新聞はアメリカ議会の公聴会で共産党員の記者がいると攻撃された(1965年)。毎日新聞で「泥と炎のインドシナ」を書いた大森実もライシャワー米大使の批判を浴び、退社した(1966年)。
 民放テレビはそれ以降、娯楽路線に転化した。
 ペンタゴンペーパーでアメリカの新聞がニクソンに勝利した直後、1972年毎日新聞
西山太吉記者が沖縄密約の公電を明るみに出した。国家機密漏洩の罪に西山が問われ、裁判が始まり、アメリカに習って「知る権利を守れと」という声が起きる。しかし政府は西山の男女関係をこれに絡めて巻き返し、一審では無罪となったものの二審、最高裁で有罪が確定した(1978年)。日本では「国民の知る権利」は定着することがなかった。

(ラジオカフェ、グリーンコミュニケーション4/5/18放送、リベラル21,4/14/18掲載)
posted by media watcher at 16:54| Comment(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

高島屋でピュリツアー賞の沢田教一展、「安全への逃避」などベトナム戦争の写真多数。1960年代戦場の凄惨な状況を記録、高島屋がホーチミン市に出店したことがきっかけ?

IMG_4202.JPGIMG_4204.JPGIMG_4203.JPG
 3月24日、沢田教一展
 京都高島屋で開かれていた「沢田教一展」(3/14~25)に行った。(横浜高島屋で3/28~4/9)
日本ではピュリツァー賞といえばなんといっても沢田教一の「安全への逃避」だ。今回もう一度1966年のベトナム戦争時代に戻る思いだった。私は1998年、日本テレビ在職時代、「ピュリツァー賞写真展、20世紀の記録」を手掛けたことから特に思い入れを持って、沢田の作品と向き合った。沢田のベトナム戦の写真の数々。いかにこの戦争が非道なものだったか、戦闘のさなか、最前線でカメラを構えた沢田の思いがどの写真からもひしひしと伝わる。その一方、戦闘がまだ及ばない頃のサンゴン(現在のホーチミン市)での、ベトナムの人々の日常の生活が描き出されている。戦場とサイゴンを往復した沢田の、平和への願いなのだろうか。
 沢田は1936年生まれ。生きていれば私と同い年だ。三沢基地の写真店で働いたことから、知遇をえて、UPI通信社のカメラマンとなり1965年サイゴン支局に赴任した。戦場では兵士は顔を地面に伏せて匍匐前進する。しかし沢田は地面に伏せながらも顔を上げてカメラを構え、シャッターを切り続けた。
1965年9月、ロクチュアン村で川を渡って避難する二組の家族を撮った「安全への逃避」は翌1966年ピュリツアー賞を受賞したほか、「世界報道写真賞」、「アメリカ海外記者クラブ賞」などを受賞している。また米軍装甲車がベトコン(解放戦線兵士)の死体を引きずる「泥まみれの死」や、塹壕から引き出した女兵士を米兵が連行する「敵を連れて」も各種の賞を受賞している。1970年10月、プノンペンの南、国道2号線で襲撃され死亡した。34歳だった。
 この写真展は東京、京都、横浜など各地の高島屋で開かれている。なぜ?と思うが、2016年高島屋はホーチミン市に出店していることから推測が付く。
posted by media watcher at 21:34| Comment(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

北朝鮮問題平昌五輪後急展開、好機生かせぬ日本

1804 北の応援団IMG_4179.JPG1804 焦りIMG_4170.JPG1894 親書IMG_4171.JPG1804 南北正恩IMG_4173.JPG1804 核放棄?IMG_4174.JPGIMG_4175.JPG
 写真1.すべての始まり平昌冬季五輪、北の応援団(クローズアップ現代2/26)
 写真2.焦って、金永南人民会議委員長にすり寄った安倍首相(クローズアップ現代2/26)
 写真3.金正恩からの親書を文大統領に手渡す金与正(クローズアップ現代2/26)
 写真4.韓国特使をもてなす金正恩(サンデーモーニング3/11)
 写真5.金正恩は核放棄すら口にした(サンデーモーニング3/11)
 写真6.北朝鮮との「米朝会談」を即答したトランプ大統領(サンデーモーニング3/11)

 韓国平昌(ピョンチャン)の冬季五輪(2/9~2/25)が、南北合意、米朝会談のきっかけになった。スポーツの感動が政治に直結することに驚きを覚える。オリンピックの舞台で南北の融和を目指した韓国文大統領の慧眼と執念の努力が奇跡的な事態の進展に貢献した。
 電撃的転換のはじまり
 3月5日、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)労働党委員長は、訪朝した韓国大統領府の鄭義溶 (チョンウイジョン) 安保室長らと会談、韓国文在寅(ムンジェイン)大統領と金委員長との首脳会談を4月末に開催することで合意した。さらに北朝鮮側は、米国との非核化協議、米朝関係正常化の対話の用意があること、対話が続く間は核実験、ミサイル発射を凍結する意思を表明した。3月8日には、鄭安保室長が訪米、米朝首脳会談を望むという金委員長のメッセージを伝えられた米トランプ大統領は、対話に臨むことを即決した。金委員長は「米国の軍事脅威は取り除かれ、体制の安全が保障されれば核保有の理由がなくなる」とも述べ、非核化交渉の可能性さえ出た。
 日本は蚊帳の外
 安倍首相は韓国の対話路線を苦々しく眺めて、「対話のための対話は意味ない」、「圧力をかけ続ける」と言い続けた。トランプ大統領が日本に打診することなく金委員長との対話に臨むことは考えてもいなかったに違いない。
 安倍首相の動揺が見られたのは2月9日の平昌五輪開会日のレセプション席上であった。終了間際、内ポケットからメモ用紙を取り出して一瞥した後、同じテーブルの向かい側にいた金永南(キムヨンナム)北朝鮮最高人民会議常任委員長のもとに歩み寄った。「すべての拉致被害者の帰国を実現してほしい、日朝平壌宣言に基づき拉致、核、ミサイルなど、すべての問題を解決すべきだ」(クローズアップ現代2/26)と発言した。
 安倍首相はこの時、米ペンス副大統領が北朝鮮と会談する予定になっていることを知らされており、焦りの立話だったとみられる。翌日に予定されていた米朝会談は、直前になって北朝鮮側に断られ、実現しなかった。孤立する日本はすべて蚊帳の外だ。
 終わっていない朝鮮戦争、日本の役割は?
 私は2010年、北京経由でピョンヤンを訪れ、北側から板門店に入った。38度線は、朝鮮戦争の休戦ライン(1953年)であり、65年間戦争状態が続いている。この際たまたま知り合いになった、元北朝鮮軍の将校は「我々の究極の目的はアメリカと交渉し、戦争状態を終わらせることだ」と熱く語った。それは今も変わっていない。
 韓国が対話に乗り出し、北とアメリカとの交渉が始まろうとする今、日本が担う役割は大きい。まずは拉致問題の解決を図るための積極的な好機をどう生かすかだ。その上で唯一の被爆国である日本が、真剣に核廃棄を説得すれば、北朝鮮を含む東アジアの非核化へ進むことが可能だ。疲弊している北朝鮮の民衆を経済援助することも目標に入れる必要がある。朝鮮半島の分断は日本の植民地支配の結果でもある。
 北朝鮮に対する日本の根本的な政策転換が必要だが、その力は安倍政権にはない。対話の意志を持ち、説得の能力がある政治家による新しい政権の誕生が必要と思う。
 
機関紙協会、宣伝と組織、4月号原稿 隅井孝雄 1300字

posted by media watcher at 21:57| Comment(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

 ジャーナリズムの大先輩、原寿雄さんを送る。ジャーナリズムをめぐるパネル討論と追悼のつどい、プレスセンターで開らかれる

1803 原さん会場2DSCN0907.JPG1803 原さん会場DSCN0903.JPG1803 隅井DSCN0911.JPG1803 西山DSCN0908.JPG1803 澤地DSCN0919.JPG1803 関DSCN0920.JPG
写真、1パネル討論会場、2隅井孝雄、3会場、4.西山太吉氏、5.澤地久枝氏、6.関千恵子氏
 3月10日、プレスセンターで、原寿雄さんと現代ジャーナリズムを語る会と原寿雄さん追悼会が開催された。私はぜひ参加したいと東京へ。
前半のパネル討論では、忖度ジャーナリズムに対する不信が広がる中、権力を監視し、社会正義を追求するため、組織的な調査取材、総合的な分析力が必要であることが強調された。 高い倫理性を保ちつつ、覚悟を持ってジャーナリスト精神を貫き、真のジャーナリズムの再生を図る必要のあることが、語られた。また、SNSがとってかわることのできないことも共通認識であった。発言したジャーナリストは杉田弘毅(共同通信論説委員長)、青木理(ジャーナリスト)、林里香(東大情報学環教授)、小俣一平(元NHK制作者、武蔵野大客員教授)、藤森研(元朝日記者専修大教授)の5人氏だった。原寿雄さんの教えが脈々と受け継がれていると実感した。
そのあと追悼会が開かれ、守田省吾氏(みすず書房社長)、西山太吉氏(元毎日新聞、密約事件)、澤地久枝氏(作家)、関千恵子氏(元毎日記者)などが、それぞれ、原寿雄さんを偲ぶスピーチをした。私にもスピーチの番が回ってきたので、次のような話をした。
隅井孝雄より大先輩の原寿雄さんへ
私が原さんとお会いしたのは1964年〜65年の頃、日本ジャーナリスト会議でした。民間放送という登場して間もない「遅れてきたメディア」であり、その中でも60年安保後にやっと労働組合ができたばかりの日本テレビに在籍していた私にとって、戦後のジャーナリズムを切り開いた新聞、出版の先輩たちの発する一言一言が新鮮でした。
 原さんはいつも背筋をきちんと伸ばし、姿勢良く前を向いて歩いておられた姿が今でも目に浮かびます。それは、ジャーナリストとしての原さんの姿勢と重なるものがあります。
 デスク日記の連載中、時に原さんを囲む会で当時の民放に起こった様々な状況を、お伝えする役目を担ったこともあります。60年代、当時の政権は若い活力ある新しいメディア民放ラジオテレビの力を削ごうとしていました。私たちは原さんに励まされながら権力に立ち向かいましたが、力及びませんでした。
 原さんは後半生で、民放連番組調査会(1994)やBPO(2000)にも関わられ、放送を民衆に近づけることに努力を傾注されました。BPO(放送倫理、番組向上機構)の改革に尽力され、権力の介入、干渉を排した自主機構として現在に続いているのは、原さんの貢献を抜きにしては考えられません。
晩年、お会いした時も背筋を伸ばして歩かれる姿を拝見しました。それは生涯を通じてジャーナリズムの正道を歩き、説き続けられた原さんならではの姿でした。
ご冥福をお祈りします。



 
posted by media watcher at 17:53| Comment(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

沖縄基地反対運動中傷番組、後退続く

hqdefault.jpg1803 コンちゃん face.png1803 ニュース女子http_%2F%2Fo.aolcdn.com%2Fhss%2Fstorage%2Fmidas%2F49b8138bc46bafff840ea271c91e6cc0%2F205952187%2FNjyo.jpg1803 ニュース女子テロリストAS20171214004720_commL.jpg1803 MX打ち切りXo-KAIKEN-570.jpg1903 MBSIMG_4183.JPG
 写真、毎日放送、ラジオワイド「コンちゃん」(ホームページより)、ニュース女子(ホームページより)、反対闘争をテロ呼ばわり(MBS映像17より)、MXに抗議する人々(MBS映像17より)
 毎日ラジオ(MBC)でフェイク発言を社長が謝罪した。MXテレビの沖縄誹謗「ニュース女子」はBPOの勧告うけて放送打ち切りに。偽ニュース番組を防ぐ試みが続いている。

 毎日放送ラジオ、沖縄フェイク発言、社長命令で再取材、謝罪訂正放送
 毎日放送のラジオ番組で近藤光史パーソナリティーが、沖縄の基地反対運動について「純粋に反対運動をしている人は少ない」、「大部分は特定勢力から送り込まれている」、「中国や韓国の勢力が紛れ込み、内部から日本を分断している」などと発言したことが、問題となった(昨年12/26)。これについて毎日放送の三村恵一社長自らが記者会見(2/18)の席上「不適切な発言だった」と謝罪。その上で近藤パーソナリティーの沖縄に取材、番組での報告を命じた。
 近藤光史アナは自身の番組毎日放送のラジオワイド「こんにちはコンちゃん、お昼ですょ!」のパーソナリティーとして沖縄県名護市を取材に訪れ、その結果を2月27日の番組でレポートした。「沖縄戦で肉親を亡くし、米軍普天間飛行場の辺野古移転反対運動に取り組む人に話を聞いた。家族の命を守りたいという思いがよくわかった」、「外部勢力が紛れ込み、日本を内部から分断しようとしていると発言したが、今回の取材ではそうした勢力はいなかった」などと番組内で語った。
 沖縄をめぐっては様々な偽言説がネット上にあふれている。社長が謝りの放送を謝罪し、再取材を命じたことで、毎日放送が見識をもった放送局であったことを示したといえよう。
 毎日放送では2017年1月29日、沖縄をめぐるフェイクニュースを徹底取材、偽の情報で基地反対運動誹謗する実態を明らかにするドキュメンタリー「沖縄さまよう木霊、基地反対運動の素顔」を放送し、文化庁芸術祭優秀賞、地方の時代優秀賞などを受賞している。

 MXテレビ、「ニュース女子」放送打ち切り
 一方、沖縄基地反対闘争をテーマに、「日当をもらって座り込みに参加している」、「救急車の通行を妨害した」、「外部勢力が多数参加している」、「座り込みしているのはシルバー武闘派過激派集団だ」などの偽レポートを流して問題になった番組「ニュース女子」(2017年1月2日)について、放送した東京メトロポリタンテレビ(MXテレビ)は3月いっぱいで番組を終了すると発表した。
 この番組については多くの市民から「基地反対闘争の参加者を誹謗中傷している」との抗議の声が殺到していた。またBPO放送倫理検証委員会が、「MXが番組内容を適正にチェックせず、事実の裏付けもないまま放送したのは、重大な放送倫理違反だ」とする意見を公表(12/8)、さらにBPO放送人権委員会が市民団体「のりこえネット」代表の辛淑玉(シンスゴ)さんを、「過激で犯罪行為を繰り返す基地反対運動の“黒幕”と伝え、また人権や民族について取り上げる際に必要な配慮を欠いていた」として、名誉棄損、人権侵害にあたるとして、再発防止の努力を勧告した(3/8)。
 この番組はスポンサーであるDHCの子会社プロダクションが制作するいわゆる「持ち込み番組」。MXテレビは「DHCに対して、制作主体を局に移行したいと申し入れたが、同意を得られなかったため、番組終了を決めた」(朝日新聞3/2)という。3/26日が同局での最後の放送となる。
 MXテレビが放送中止を決めたことを受けて、「沖縄への偏見をあおる放送を許さない市民有志の会」は東京都内で記者会見(3/6)、MXの判断を歓迎した。同会では「MX本社前での抗議は33回、デモ3回、屋内集会2回、延べ3000人を超す市民が、街頭右翼の妨害に負けず、声を上げ続けた成果」であると語った(3/7赤旗)。
 DHCは「ニュース女子」の制作を継続、 一部地方局での放送とYouTube送信をするとしているが、地上波テレビのほとんどは放送を打ち切るものとみられる。
posted by media watcher at 17:14| Comment(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Media watch.gif

隅井孝雄のメディア・ウォッチブログ