2019年12月08日

 コミュニティFMの音楽番組、ゲストに歌手の野田淳子さんを招いた。12月22日、ロームシアターで14時からコンサート

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 コミュニティFMの音楽番組、ゲストに歌手の野田淳子さんを招いた。11月27日
 オープニングに「天使のリン」(グラシエ・スサーナのカバー)を聞いた後、詩人、金子みすずの「雪」を聞いた。金子みすゞは20世紀初頭(大正末期から昭和初期)にかけて活躍した詩人。26歳で死去するまでに500点もの抒情性の高い詩を綴った。 
 イギリスの民謡「ダニー・ボーイ」を、ギターの演奏、生歌、しかもエスペラントで聴かせた。
 最後は中島みゆきの「糸」、縦の糸はあなた、横の糸は私、織りなす布は一か誰かを温めるかもしれない、と歌う。
 彼女は、コンサート「刻々の誕生」ロームシアターサウスで開催する。 
 12月22日13:30開場、14:00開演、ロームシアターサウスホールでコンサートがある。
 前売り、3,500円、当日4,000円
 歌
1. 「天使のリン」、2. 金子みすゞ、「雪」、3.「ダニー・ボーイ」、4. 「糸」
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 放送を市民の手に! 独立行政委員会制度実現を! ~メディアの危機と放送法制改革〜   2019.12.3 隅井孝雄

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 今年の参議院議員選挙(7/21)に先立って、市民連合が4立憲野党1会派(立憲民主、国民民主、社会民主、社会保障国民会議)と統一要求13項目を決めたことは、日本の政治に辟易している私を勇気づけました。中でもその第13項目「国民の知る権利を確保する観点から、報道の自由を徹底するため、放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行う新たな放送制度を構築する」と記された項目には新たな感動すら覚えました。
 私自身が「放送改革試案」なるものを発表、放送行政を政府から切り離すべきだと提案したのは今からほぼ50年前のことです。
私は当時民放テレビ局の日本テレビに在籍するかたわら、民放労連の放送対策担当副委員長、と現在のMIC(マスコミ情報文化労組)の前身である、マスコミ関連労組共闘会議の事務局長を兼任しておりました。その間、1960年代後半から70年代にかけて、報道に関する政府からの直接的な介入、干渉がさまざまあり、その頃新しいしいメディアで勢いのあった放送メディアにも様々な圧力が加わりました。
 田英夫キャスターの退任(1970年)
 一つだけ例を申し上げましょう。TBSでの出来事です。日本最初のニュースキャスターであった田英夫さんが北爆下のハノイを取材、「ハノイ、田英夫の証言」(1967年10月)を制作しました。政府自民党首脳部(福田赳夫、田中角栄、橋本登美三郎、新谷寅三郎ら)は今道潤三社長、島津報道担当常務、橋本報道局長を呼びつけ「反米番組だ。田をハノイに派遣すればあのようの番組が生まれることが分かっていた」と発言して社長を直接叱責しました。さらに、一連のTBS報道番組「日の丸」(1967)、「三里塚報道」( 1968)は「左翼偏向」だと攻撃、社長の退任を迫り、再免許更新しいなこともありうると伝えたのです。ドキュメンタリ制作者たちが相次いで現場から配置転換され、田キャスターの姿はテレビから消えました(1970年退社、田英夫氏が参議院議員となったのは1971年)。
 「放送改革試案」で民主化探る
 その頃、放送法に新たな倫理基準を盛り込むことが企画されていたことから、自分たちの手で民主主義と知る権利を保障するための制度を形作ろうとしたのです(この放送法は廃案となった)。
民放労連では、日本でどうしたら放送を真に報道機関たらしめるか、真剣に議論を重ね、諸外国の放送制度も調べ、1970年「放送改革試案」を作りました。
 その第1.項目が、「民主的な放送制度を確立するために、中央、地方に放送委員会を設け、電波・放送行政を郵政省(当時所管官庁は郵政省でした)から切り離す、委員は公選制とする」です。しかしそれ以外に、2.視聴者国民の発言権保障のために、3. 放送労働者の権利保障のために、4. 放送局に社会的責任を果たさせるためにと続きます。
 切り離すだけでは不十分と考えた私たちは、視聴者、国民の発言権を保障する制度を検討しました。現在のBPO「放送倫理、番組向上機構」それにあたります。さらに労働者、制作者の権利保障として、個々の放送企業内でも職場、職能組織代表の発言の場を設けるとともに、番組編成制作にかかわる首脳陣のリコール権、良心に反する業務の拒否権が必要、などが盛り込まれました。放送メディアの立体的運営を図ったといえるでしょう。
 2019年の現在に至っても、NHK、民放問わず、政府、与党によるキャスターの追放、番組への介入干渉がやまないどころか、懐柔、丸抱えの動きも進んでいます。
 私はもう一度、市民連語、野党連合の力で、日本の放送が政府からの独立した存在を取り戻すことに努力したいと思います。
 「EU報道の自由憲章」、放送の独立性に言及
 政府が放送の監督権限を握っている日本の他、中国、北朝鮮、ロシア、ベトナム、ラオスなどで限定的です。それ以外の国はメディアの独立性を尊重し第三者委員会が免許や管理権限を持っています。個別の国の制度の詳細については省略しますが、EUの報道の自由憲章をご紹介します。
 EU(ヨーロッパ連合)は別紙のような「EU報道憲章」を2009年に決定しました。19ヵ国の新聞、ラジオ、テレビ、雑誌等の編集長48人が討議して決定、10項目あり、その第1項目と第2項目は以下のようなものです。
「報道の自由は民主主義には欠かせない。報道の自由、政治的文化的多様性を守ることは政府の責務である」
「すべてのメディアの独立性は守られる。メディア、ジャーナリストを一切、刑罰、処罰の対象にしない、独立性を妨げる立法は制定してはならない」。
 そのあと、ジャーナリストの権利に関する項目が8項目(全部で10項目)続く。
 この憲章に抵触する事例は私の知る限り、一件のみです。
ポーランドで1915年政権が右派の「法と正義」に変わった時 大統領、アンジェイ・ドゥダ大統領の下「ポーランドテレビ(12チャンネル)、ポーランドラジオ(4局)」の経営首脳の総入れ替えをはかったことがあります。「PTV放送センター」前を埋める大群衆がポーランド国旗とEU旗で取り巻きました。EUはポーランド政府に対し文書で警告を行ったとみられますが、何らかの制裁をしたかどうかは定かではありません。

 NHK、民放はいずれもインターネットとの融合を図り、力を蓄えつつ、新しい時代に入ろうとしています。今こそ放送を政府の監督下から切り離すべきです。

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2019年11月20日

天皇即位パレード、皇室への親密感生む、首相らの「万歳三唱」に違和感

 1911 59年パレードIMG_5148.JPG1911 天皇雅子即位パレードIMG_5149.JPG1911 被災者気遣うIMG_5150.JPG1911 陛下万歳IMG_5152.JPG
 写真、1. 1959年皇太子、美智子さんご成婚パレード、2. 天皇雅子さん即位パレード、3. 台風被災者への気遣い、4. 安倍首相発声での天皇陛下万歳三唱の歴代総理
天皇即位の一連の儀式の締めくくりとなる「祝賀御列の儀」(パレード)が11月10日行われ、NHK、民放テレビ全局が生中継放送した。
 皇太子の結婚、天皇即位など皇室慶事パレードは今回で4回目。原点は60年前、皇太子(現上皇)と美智子さんの結婚パレード(1959年)だった。発足からわずか6年のテレビは中継放送によって受信世帯が倍増、メディアの地位を確立した。その後天皇(現上皇)の即位パレード(1990年)、皇太子(現天皇)と雅子さんの結婚パレード(1993 年)と続く。
 今回のパレードは約4.6キロを11万9000人が埋める中、46台、400メートルに及ぶ車列が進行した。天皇夫妻のさわやかな笑顔と沿道で夫妻を見守る人々、和やかな雰囲気がかもし出された。折りにふれ、天皇が「おことば」で台風19号被災者を気遣われたことも、国民の琴線に触れたのではないか。
 退位、即位儀式報道に最も熱心だったのはNHKだ。「即位礼正殿の儀」中継は(10/22)は午前7時から午後8時までのほとんどを埋めた。パレード中継も開始(15時)の2時間前から放送を始めた。NHKの天皇関連報道特集は18年12月以降16本にのぼる。パレード中継の瞬間最大視聴率(NHK)は午後3時半過ぎ、32.1%を記録した(関東地区)。9日の「国民祭典」は経団連や日本会議が設立した奉祝委員会が実施したものだが、あたかも国の儀式のように中継したのも問題だ。
 一連の神道儀式や三種の神器の奉戴などの中継放送が、国家神道をよみがえらせて、国民を非科学的な神話の世界に連れ込むことに、私は警戒感を抱く。
 国事行為である一連の式典は安倍首相が権限を持つ。華やかな儀式の連続は、折からの閣僚らのうち続く不祥事を覆い隠す作用を生んだ。
パレードのコースが、自民党本部前を通過するように変更され、3人の副官房長官が車列に加わったが、問題視されなかった。即位式や「国民式祭典」で安倍首相や伊吹元衆院議長の発声で「天皇陛下万歳」が三唱したことも、その是非が問われるべきだ。第二次大戦中、多くの日本兵がこの言葉を叫びつつ戦場で命を失ったことが想起される。(すみいたかお、ジャーナリスト)
赤旗ラジオテレビ欄コラム、波動、2019年11月18日掲載
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2019年11月19日

、ジャズ歌手Anita O’Day アニタ・オデイ、1970年ベルリン・ジャズ・フェスの録音LPより選曲

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 コミュニティラジオ79.7の音楽番組Music Now。今回取り上げたのはジャズ歌手のAnita O’day,(アニタ・オデイ)。1970年に出演したベルリン・Dジャズ・フェスティバルを録音したLPレコード、Anita O’Day In Berlinに収録されている曲の中から選んだ。10月23日放送。
ニューヨークと並ぶジャズの都、シカゴ生まれ。若い頃から1935年からシカゴのアップタウンにあるクラブで歌っていた。ところが1941年、彼女の評判を聞きつけたシカゴの大物ジャズマン、ジーン・クルーパー(ドラマー、自分のバンドを率いていた)に認められ、クルーパー楽団の専属となったことで、本格的ジャズ歌手としての活躍が始まった。
そしてデビューの一年目1941年、Let Me Off Uptownのヒットで、ジャズの専門誌、ダウン・ビートが彼女を「ニュースター、オブ・ザ・イヤー」に選び出した。幸運の出だしだった。
 アニタは14歳の若い頃、ウォーカーソン(マラソンと競歩を合わせたような競技)熱中、それを続けるお金を稼ぐため、クラブで歌ううち、世間に認められて歌手に転じた。何が人生の幸運に結びつくか、わからないものだ。
 彼女の活躍は1940年代後半から60年代にかけて目覚ましいものであった。また70年代には日本、ドイツなどで世界的な活躍もあった。85年には、カーネギーホールでデビュー50年を記念するコンサートを開いた。
 来日は1966年、78年、81年の三回、大阪では今でもある心斎橋の高級ナイトクラブ「アロー」でたっぷり歌った。
 彼女の声は極めて個性的、メリハリの利いたスウィング感とともに、「ハスキー・ヴォイスの女王」といわれた独特な声が魅力でもある。
  ちなみにAnita O’DayのO’Dayは英語ではおはようさん、だがスペイン語ではお金、Dineroの俗語だという。貧乏な家庭環境にあって、お金を求めた彼女が自分でつけた芸名だ。番組で紹介した曲。
1 Let’s Fall In Love A1 3:40
2 Your Wings A2 2:55
3 Honeysuckle Rose A4 3:20
4 Soon It’s Gonna Rain A3 4:40
 Let’s Fall In Love
恋をしましょう。恋はいけないなんて言っているのは誰かしら。私たちのハートは恋をするように作られているんだから。チャンスが来たら、恐れず突き進もう・
 Your Wings
ピアノソロが物語を語る
Honey Suckle Rose
 ミツバチよ聞いておくれ。ミツバチはみんなジェラシーいっぱいだわ。あなたが私と一緒に出掛ける時、彼は女に甘い蜜を吸わせてとりこにするスイカズラだということを。」あなたは私の蜜、私はかき混ぜて、ゆっくり味わうのよ。
Soon It’s Gonna Rain
 風がささやき、木の葉が揺れる、ベルベッドの雨が空から落ちで来る

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市民の側に立つ“新聞記者”望月衣塑子さん、東京新聞社会部記者 


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 東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんが注目されるようになったのは、2017年3月、森友、加計学園の取材チームに加わって大活躍したのがきっかけだった。森友、加計に止まらず、沖縄辺野古基地、消費税など様々な国政問題で、菅義偉官房長官を相手に一歩も引かず渡り合い続けている。
官邸記者クラブは国民の怒りを直接安倍政権にぶつける場となり、政府の欺瞞が次々に暴かれている。2017年6月には、伊藤詩織さんのセクハラ問題と加計学園問題で、40分23回の質問を行い、問題の本質に迫った。
 日本の新聞記者はおとなしい、記者会見でも「あまり質問しなでパソコンで記録を取るだけだ」といわれていたが、望月さんの活躍で、官邸記者クラブの雰囲気が一変した。朝日、毎日、TBS、共同通信、地方各紙の記者たちと政府の間で毎回激論が交わされるようになったのだ。マスコミの現状に変化をもたらす原動力になったのが望月記者だ。
 国民の知る権利という観点から見て、新聞、テレビ報道にプラスの大変革を巻き起こしたのが望月さんだということが言える。そのため官邸側では、望月記者を官邸クラブから締め出そうと、「質問が事実ではない」などの言いがかりをつけたが、官邸クラブの記者たちはそれをはねのけた。東京新聞自体も、望月記者の質問は事実だとして、彼女の記者活動を守り続けている。
 望月記者は忙しい取材活動の合間を縫って、全国各地で講演を行い、直接市民に触れている。また重要な政治問題、社会問題につきて毎日欠かさずツイッターで市民に伝える活動を行っている。
12月8日に龍谷大で講演会がある。テーマは「民主主義を語る」だ。私たち市民の側に立つ新聞記者の話を直接聞ける貴重な機会である。
市民の側に立つ“新聞記者”望月衣塑子さん、東京新聞社会部
        
 東京新聞社会部記者の望月衣塑子さんが注目されるようになったのは、2017年3月、森友、加計学園の取材チームに加わって大活躍したのがきっかけだった。森友、加計に止まらず、沖縄辺野古基地、消費税など様々な国政問題で、菅義偉官房長官を相手に一歩も引かず渡り合い続けている。
官邸記者クラブは国民の怒りを直接安倍政権にぶつける場となり、政府の欺瞞が次々に暴かれている。2017年6月には、伊藤詩織さんのセクハラ問題と加計学園問題で、40分23回の質問を行い、問題の本質に迫った。
 日本の新聞記者はおとなしい、記者会見でも「あまり質問しなでパソコンで記録を取るだけだ」といわれていたが、望月さんの活躍で、官邸記者クラブの雰囲気が一変した。朝日、毎日、TBS、共同通信、地方各紙の記者たちと政府の間で毎回激論が交わされるようになったのだ。マスコミの現状に変化をもたらす原動力になったのが望月記者だ。
 国民の知る権利という観点から見て、新聞、テレビ報道にプラスの大変革を巻き起こしたのが望月さんだということが言える。そのため官邸側では、望月記者を官邸クラブから締め出そうと、「質問が事実ではない」などの言いがかりをつけたが、官邸クラブの記者たちはそれをはねのけた。東京新聞自体も、望月記者の質問は事実だとして、彼女の記者活動を守り続けている。
 望月記者は忙しい取材活動の合間を縫って、全国各地で講演を行い、直接市民に触れている。また重要な政治問題、社会問題につきて毎日欠かさずツイッターで市民に伝える活動を行っている。
12月8日に龍谷大で講演会がある。テーマは「民主主義を語る」だ。私たち市民の側に立つ新聞記者の話を直接聞ける貴重な機会である。
 隅井孝雄(ジャーナリスト)
(京都民報、191110)
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