2018年04月01日

高島屋でピュリツアー賞の沢田教一展、「安全への逃避」などベトナム戦争の写真多数。1960年代戦場の凄惨な状況を記録、高島屋がホーチミン市に出店したことがきっかけ?

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 3月24日、沢田教一展
 京都高島屋で開かれていた「沢田教一展」(3/14~25)に行った。(横浜高島屋で3/28~4/9)
日本ではピュリツァー賞といえばなんといっても沢田教一の「安全への逃避」だ。今回もう一度1966年のベトナム戦争時代に戻る思いだった。私は1998年、日本テレビ在職時代、「ピュリツァー賞写真展、20世紀の記録」を手掛けたことから特に思い入れを持って、沢田の作品と向き合った。沢田のベトナム戦の写真の数々。いかにこの戦争が非道なものだったか、戦闘のさなか、最前線でカメラを構えた沢田の思いがどの写真からもひしひしと伝わる。その一方、戦闘がまだ及ばない頃のサンゴン(現在のホーチミン市)での、ベトナムの人々の日常の生活が描き出されている。戦場とサイゴンを往復した沢田の、平和への願いなのだろうか。
 沢田は1936年生まれ。生きていれば私と同い年だ。三沢基地の写真店で働いたことから、知遇をえて、UPI通信社のカメラマンとなり1965年サイゴン支局に赴任した。戦場では兵士は顔を地面に伏せて匍匐前進する。しかし沢田は地面に伏せながらも顔を上げてカメラを構え、シャッターを切り続けた。
1965年9月、ロクチュアン村で川を渡って避難する二組の家族を撮った「安全への逃避」は翌1966年ピュリツアー賞を受賞したほか、「世界報道写真賞」、「アメリカ海外記者クラブ賞」などを受賞している。また米軍装甲車がベトコン(解放戦線兵士)の死体を引きずる「泥まみれの死」や、塹壕から引き出した女兵士を米兵が連行する「敵を連れて」も各種の賞を受賞している。1970年10月、プノンペンの南、国道2号線で襲撃され死亡した。34歳だった。
 この写真展は東京、京都、横浜など各地の高島屋で開かれている。なぜ?と思うが、2016年高島屋はホーチミン市に出店していることから推測が付く。
posted by media watcher at 21:34| Comment(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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