2017年03月23日

木屋町の旧立誠小学校(映画発祥の地)、取り壊してホテルに?地元住民は耐震補強で映画など文化拠点として残すよう要望

1703 立誠、玄関V-LOCAT-2N6L001_2.jpg1703 立誠映画発祥の地531734_615.jpg1703 立誠稲畑IMG_3317.JPG1703 立誠リュミエールIMG_3319.JPG1703 立誠真如堂IMG_3318.JPG
 (写真、1. 立誠校舎正門、2. 映画発祥の地の看板、3.リュミエール映画に登場、稲畑一家、4. リュミエール兄弟、5. 日本最初の映画撮影地真如堂)
 京都木屋町の高瀬川沿いに立つ旧立誠小学校が解体され、ホテルに衣替えする計画が進んでいると聞いた。立誠学区の住民たちは校舎を耐震補強する必要があるが、地域の文化活動の拠点としての性格を保つよう求めているという。
 私はこの場所が日本における映画発祥の地という性格を持ち、教室を改装した映画館も運営されていることから、映画を組み入れた市民的文化拠点として、この建物を耐震補強したうえで維持、保存すべきだと考える。前例としては、元龍池小学校を改修した京都国際ミュージアムがある。
 立誠小学校は1869年(明治2年)、まだ小学校の制度が公にできる前、地元の熱意でオランダ屋敷の跡地に誕生した「番組小学校」の一つだ。現存する校舎は1928年(昭和3年)に建設されたロマネスク様式の鉄筋コンクリート3階建て。高瀬川にかかる石橋が玄関口となり、アーチ型の玄関、装飾を施したバルコニー、畳の自彊室を備えた趣のあるデザインは注目された。児童数の減少から1993年(平成5年)に閉校したが、校舎、校庭はそのまま残り、様々な文化活動、市民グループの会合、運動会や盆踊りなどに活用されてきた。また児童が増えた近隣の小学校のために運動場などを使うこともあって、教育施設としての性格も保ってきた。
 京都市は数年前までは閉校になった小学校をそのままの形で保存してきたが、耐震補強する必要があるか否かにかかわらず取り壊し、再活用にする方針に転換した。京都市内の廃校校舎はいずれも文化財として貴重であり、立誠小学校はその最たるものである。三階建ての東側校舎は、その建築様式デザインから見ても貴重な文化財建築ではないだろうか。
 校舎の入り口には、京都市によって「映画発祥の地」として説明文字看板が建てられている。
 立誠小学校、稲畑勝太郎、リュミエール
 明治後期、この地は京都電灯会社の敷地であった。京都の実業家稲畑勝太郎は、京都府から派遣されフランス、リヨンの工芸繊維専門学校に留学していた時、のちに映画(シネマトグラフ)の創始者である、オーギュスト・リュミエールと机を並べる仲であり、帰朝にあたって、ルミエール映写機を一台譲り受け、持ち帰った。そし1896年(明治30年)、2月1日、島津製作所などの協力を得て、日本で初めてのスクリーン式の映画を上映した。これが契機となって、京都での映画上映、映画制作が始まった。同じころエジソンの「動く写真」も上映されたが、「のぞき窓」で一人ずつ見るという方式だったため、定着しなかった。
 ちなみにリュミエール式の映画上映を興行化したのは1900年(明治34年)に稲畑から権利を譲り受けた横田永之助である。また、最初の映画撮影は1908年(明治41年)西陣千本座のマキノ省三により、真如堂で行われた。タイトルは「本能寺合戦」であった。
posted by media watcher at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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