2016年10月19日

秋に想うイブ・モンタン、実は人権と政治的自由の抑圧に生涯かけて闘った。東欧民主化の立役者だった。

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 10月12日 秋といえばイブ・モンタンの枯れ葉The Falling Leaves。いつものFM79.7でイブ・モンタンのLPレコードをかけた。曲は「詩人の魂」、「枯れ葉」、「兵隊が戦争に行くとき」、「青春」の4曲。
社会にプロテストする強烈な歌手はボブ・ディランを待つまでもなく、この世に数は多い。だがイブ・モンタンといえば、エディット・ピアフやマリリン・モンローと取りざたされるということは、私には不満だった。そこでこの日の番組では彼の社会的側面を知ってもらおうと思う。実はモンタンは子供のころイタリー北部からマルセーユにやってきた移民の子だ。父親が左翼で、ムッソリーニ政権からの政治亡命者だ。
 歌手として成功したイブ・モンタンはやさしさのこもった歌声を響かせ続けたが、早い時期から、人権や政治的抑圧に反対の声を上げてきた。彼の死(1991年)の2年前、1989年、ベルリンの壁が崩壊、ハンガリー、チェコ、ポーランドなどが相次いで民主化を成し遂げた。それを見届けることができでどんなに喜んだことだろう。
 1966年の映画「パリは燃えているか」やその後1970年代の「Z」、(1969年アルジェリア)、「告白」(1969年チェコ)、」「戒厳令」(1972年ウルグアイ)などの映画を見ればそのことがよくわかる。
彼の原点は1956年の「ハンガリーの反乱」だ。この年イブ・モンタンは東欧とソビエトに演奏旅行に行った。その目の前でソビエト軍の戦車が民主化のため蜂起したブラペストの民衆を蹂躙、抑圧した。東欧民主化のはるか前のことだ。かれは直接フルシチョフに抗議したといわれる。まだフランス左翼も親ソビエト路線のころだったが、モンタンは人権を擁護する活動を40年にわたってひるむことなく続け、東欧民主化につなげた。
 1990年のノーベル平和賞の候補になっていたかもしれないと夢想する。
posted by media watcher at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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