2015年11月13日

OTV(大阪テレビ)知っていますか。わずか3年、テレビ番組の源流を作った。その頃を知る関係者の集会、 テレビ初期の熱気語る

 1956年(昭和31年)から59年(34年)にかけて大阪テレビOTVというテレビ局があったのをご存知ですか。やりくりアパート、びっくり捕物帳、部長刑事などの人気番組で大阪弁、大阪娯楽を一挙に全国に広めた。
えっ、朝日放送ではないの?という疑問が出るかもしれない。このテレビ局、実は日本テレビ、TBS(当時KRTラジオ東京テレビ)に続いて開局した3番目の民放テレビだった。当時大阪では国がテレビ局免許を一局しか出さない方針だったため朝日新聞、毎日新聞、朝日放送、毎日放送の四社が合同で設立した。しかし国の方針が大阪三局にあっさり変わり、朝日、毎日、読売がそれぞれテレビを開設、大阪テレビは朝日放送に吸収され、あえなく消滅した。国の電波政策に翻弄された3年だった。
 わずか三年だったがその間生み出した番組はテレビに大阪の風をたっぷり吹き込むものとなり、今に受け継がれている。
 そのOTVの思い出を語る会が10月21日、大阪で開かれ、私もご案内を受けて出席した。
実は私が日本テレビで働くようになったのは1958年4月だが、その時点ではOTVは一部番組を日本テレビにもネットしていた。当時は昼食時にひとしきり番組があっていったん放送が中断、夕方再開して夜11時近くまで放送するという編成だったが、夕方の放送前にマスター(主調整室)に行くと、画面に猫の目が映っている。OTVから流れてくるネットマークだ。時間が来るとその猫の目がゆっくり開いてOTVのスタジオからの生番組「婦人手帳」が始まるのがウイークデイの決まりだった。なかなかしゃれた画面展開で印象に強く残っている。その時画面の向こうにいたアナウンサー志水英子さんが、60年後のいま、私の目の前で思い出をしゃべっている.時代を超えた不思議な感覚だ。
 OTVのスタッフは開局に先立って報道系は日本テレビで、娯楽系はKRTV(TBS)で研修を受けたと言う。そのせいか、夜のとびきり面白い人気コメディなどはKRTがさらっていった。私は日テレの編成かにいたが、夜残業しながら、ライバルKRTが放送する「びっくり捕物帖」などのOTVのお笑い番組を、大口を開け笑いながら見ていた.いまから思うとそれらの番組の多くは澤田隆治さんが演出し、大村崑が出演していた。
その二人がこの会合にも来て、思い出を語った。近来にない興味深い集会だったといえよう。
 澤田隆治さんはABCラジオですでに一家を成していた制作者だが、OTVというテレビに行けといわれて、いやいや「出向」したという。しかし、ダイマルラケットなど大阪芸人に「カメリハいらない、わてら、ぶっつけだ」と言われ、それでもカット割りをきちんとやって、アドリブではないお笑い番組の流れを作り出した。そのエピソードにいまに続くヒット作の制作者魂を感じた。
 大村崑さんは、神戸生まれで、東京の軽演劇の経験がある。そこで標準語と大阪弁をミックスしたことが、人気の元になったし、大阪弁を流行らす下地にもなったことを披露。また「やりくりアパートの」中のミゼットのコマーシャルが大ヒットに至った裏話も語った。半ば学術的な50人ほどの会合なのに、聴衆の笑いをとろうとする「芸人根性」を持ち続けていることに感銘をうけた。
 
posted by media watcher at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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