2010年10月16日

ピョンアン(平壌)への旅……未知の国最新レポート

隅井孝雄のメディア・ウオッチ No. 1007 (通算192)
 2010.10.16
ピョンアン(平壌)への旅……未知の国最新レポート隅井孝雄(JCJ代表委員、京都ノートルダム女子大学客員教授)

2010年 10月4日、岩波セミナールーム

以下は10月4日に行われた講演会の草稿です
 

1.なぜピョンアンなのか。朝鮮半島は冷戦体制がいまだに残る日本の隣国である。国際情勢を考えるとき、北朝鮮の動向からは目が離せない。もしこの半島で統一の動きが進めば、それは日本にとって、世界にとって巨大な変化が起きることを意味する。日本の歴史を考えれば、私たちは千年以上も前から中国、朝鮮、台湾など東アジアの一員として成長発展を遂げてきた。日本の政治、文化の源流もまた朝鮮にある。さらに100年前日本が併合した国でもある。今北朝鮮をこの目で見ておきたい、という思いが募り、京都で親しくしている元京都府立大学長、龍谷大学法学部教授の広原盛明先生と意気投合、旅に出た。北京から汽車に乗ったのは、車窓からでもいい、少しでも北の国情に触れたい、という思いからだった。

 

2.どうやって北朝鮮に入るのか。朝鮮とつながりのある知人もいる。伝手をたどって招待してもらうこともできないわけではない。しかし、今回は独立独歩で行こうということになった。外務省は200610月以降、北朝鮮を危険区域に指定、「目的のいかんを問わず自粛するように」と警告している。大手の旅行会社には頼めない。北朝鮮への個人ツアーを扱っている小さな旅行会社に、ビザ、列車、ホテルなどのツアーを頼んだ。周囲からは「拉致されたらどうする」と言われたが、みなさんに「なにかあったら救援運動を」と頼んで旅立った。

 

3.どんな旅だったか。82日、朝関空を発って北京空港着着、北京駅近くのホテルで朝鮮国際旅行社のスタッフから入国ビザとピョンヤン行きチケットを受け取り北京駅に。人ごみ、喧騒をかき分け国際寝台特急列車に乗り込んだ。ティエンシェン天津、タンシャン唐山、シェンヤン瀋陽など北東部をひた走り目が覚める頃には国境の町タントン丹東に着いた。税関検査、機関車、客車の入れ替えなど2時間18分の停車。中国人乗客の多くが降りて、代わりに朝鮮乗客が乗り込んできた。多くが金日成バッジをつけているところを見ると裕福な階級らしいが、大きな荷物を3個も4個も運び込み、通路は荷物だらけ。衣料、肌着、食糧、生活用品が山のように持ちこまれる。そして国境のヤールーチアン鴨緑江を列車はゆっくり越えた。かつて日本はプサンから朝鮮半島を縦貫し鉄道を通した、そして朝中国境で満鉄に結び、物資と兵員の輸送のための動脈とした。その結節点の橋梁を私の乗った列車が南下する。

 

4. 北を振り振り向くとタントン丹東の高層ビル群だが、南に目を転じると自然のままの河原と、ややうら寂しく古めかしい市街地が広がる。入国地点のシンウイジュ新義州駅で列車は3時間30分も止まったままだった。それは、それは厳しい入国検査で荷物の底の底までひっくり返す。デジカメは映像を一枚一枚めくる、携帯電話は茶封筒に入れられ、セロテープでぐるぐる巻きになった。(しかしピョンアン平壌の街中では市民がしきりにケータイを使う姿を目の当たりにしたのだが…。)

 

5. 列車の窓から。沿道の農村地帯は整頓され、グレーの屋根が白く縁取りされた農家は一か所に整然とかたまっている。道路は舗装がなく、人々は自転車をこぐか、さもなければ何キロでもひたすら歩く。自動車はほとんど通らない。延々と水田とトウモロコシ畑が続く。品種改良がないためか、あまり生育していなよう見える。川では人々が釣り糸を垂れ、あぜ道には牛や羊、水田の一角にはアヒルが泳ぐ。植林の形跡がなく、低灌木の間に岩肌がのぞく。道路、線路、電柱、送電線、河川、などのインフラは日本の終戦直後がそのまま存在在しているようだ。雨が降ればすぐ水が出るのも当然かと思う。人々はなぜか大きな荷物をしょっており、ところどころもの売りが地べたにしゃがんでいる。そこに人だかりがある。ちなみに腰を下ろさずしゃがむという行為は、隔世遺伝なのか、DNAなのか、日本の若者にうけ継がれているな、と思った。漢民族は腰を下ろすが、朝鮮民族はしゃがむのだ。

 

6.隣の一等寝台には中国CCTVの撮影スタッフが撮影機材とともにいた。朝鮮の現状テーマの報道番組を作るのだそうだ。NHKとの共同制作で孫文のドキュメンタリーを作ったとかで日比谷の松本楼を取材した話が出るなど英語と筆談で会話が弾んだ。

シンウイジュ新義州から私たちのコンパートメントにビジネスマンか官僚と思える朝鮮人が乗り込んできた。金日成バッジがここでも光るが、大きな買い出し荷物と一緒だというアンバランスがおかしい。食堂車に行き損ねた私たちを見かねて、隣のCCTVがカップめんをくれた。相部屋の朝鮮人パク白さんとチェ蔡さんは荷物からタラの干物と缶ビールをとりだし、私たちにも勧めてくれて酒盛りになった。異境での親切が身にしみる、ピョニアンの市街地に入ると一人が新築の高層アパートを指差し、「あれが私の家だ」、と自慢げに言った。

 

7.ピョニアン平壌に着いたのは83日午後730分。北京から26時間15分、関空からは34時間の旅であった。駅のそば43階建ての高層ホテル高麗(コリョ)ホテルが宿だった。経済制裁のおかげか、宿泊客の姿はまばら。夕食は300 席ぐらいある大きなホテルのレストランだったが、客は5 10数人。中国人のほかイギリス、ドイツ、スペインなどヨーロッパ人だった。従業員は手持無沙汰をかこっていた。そして次の日から小型バス、運転手、通訳二人に囲まれた旅が始まった。

 

8.最初の目的は板門店パンムンジョムを北から見ること。かつてはがちがちに緊張し無表情に見えた北朝鮮の兵士たちも、北からの客人には、くつろいだ笑顔で我々を受け入れてくれる。案内してくれた陸軍中尉は、思いがけない質問を我々に投げかけた。「日本では北のことをどう報道しているのか、もし戦争になったら本当にアメリカは核を使うのか」。私は彼らの表情と質問に多くのメッセージが込められていることを感じた。

 

9.その日の夜、82日に始まったばかりのアリラン祭に行った。一等席150ユーロ、約17000円。4万人以上が客席を埋めているが、うち半分は人文字要員の“出演者”だ。彼らのほとんどは日中暑い暑い日差しの中で金日成広場を埋めて繰り返し人文字板の上げ下げを規律正しく練習していた。オープニングはアリラン組曲、解放65年の文字が出て、鉄条網に閉ざされた暗い時代が一変、太陽(金日成)が上る。RNCというローマ字におやと思うが、これは次世代指導者キム・ジョンウン金正恩が工場生産のコンピューター制御ライン開発に力を尽くしたということらしい。朝中友好、団結という漢字が出てまたびっくり。中国と兄弟だと強調するダシ物が続いた後、美しい豊かな国、科学技術が発展した国、都市文化が花開いた国、北朝鮮の発展と繁栄が謳歌される。日本やアメリカが名指しで非難されることはなかった。

 

10.私が感じたこと。北朝鮮の一般の市民は日本に対する敵愾心、悪い感情をほとんど持っていない、むしろ憧れさえ持っていると思えた。日本人は2004 年ごろまでは年間数10万人が来たが、今は月に数人、年間100人来るか来ないか、といったレベルだ。彼らは南との友好が再開し、経済制裁が解かれ、韓国や日本との窓口が開くことを切望している。

北朝鮮が世界の各地から多くの人々を集めたのは1989年の世界青年学生平和友好祭だった。会場は今アリラン祭りの開かれている巨大競技場であった。1990年金丸訪中団が北朝鮮を訪れ一挙に友好ムードが広がった。それをさらに大きくしたのは1995年平壌で挙行された猪木引退興行である。この数年、新潟からのチャーター便などで数十万人に上る日本人、在日朝鮮人が次々に訪れた。韓国も離散家族の再会、クムガン山観光など友好ムードを演出し、北朝鮮のふつうの人々は、世界に開かれることを歓迎した。しかし政治的緊張がそれを暗転させ今日に至った。

キム・イルソン金日成は尊敬されているが、キム・ジョンイル金正日が尊敬を集めているということはなさそうだ。かといって彼を批判し、打倒するということは起きる可能性はない。ドイツやポーランド、チェコで起きた「体制崩壊」はないだろう。かといって憎悪の的となったチャウシェスクのような事態が起きることもなさそうだ。キム王朝体制が緩やかに舞台を次の世代に明け渡すという今の状況がせめてもの変化である、もしかしたら将来への第一歩となる可能性がある。それには中国や韓国の支援が欠かせない。もし日本との関係が改善すれば日本がやれることは山ほどある。

一つだけ、世界が見逃していることがある。朝鮮民族は北に2000万、南に4000万だが、中国北東部からロシアにかけてかつて高麗王国が存在したこともあり、1000万近い多くの朝鮮民族がいる。そのほか日本を中心に海外に1000万以上の朝鮮民族がいる。6000万の朝鮮民族が、2000万の北朝鮮内の人々と呼応して、北朝鮮の体制を変化させるというのははたして私だけの妄想だろうか。

 

11.北朝鮮をめぐる情勢。街のあちらこちらに「2012年さらに団結強化し、発展しよう」というスローガンが目につく。キム・イルソン金日成生誕100年、キム・ジョンイル金正日70歳という節目だ。それに備えて息子のジョンウン正恩体制を固めたい。そしてできればアメリカの譲歩を勝ち取り、朝鮮戦争の終結を実現したい。軍事境界線を、韓国との国境に変え2012年に国際社会の認知を勝ち取りたい。そういう願望を持っていると思う。核開発はそのための武器として最後の最後まで手放さないだろう。しかしいつでもやめようとすればやめられるカードでもある。韓国には北朝鮮を認知させ、経済援助を引き出したい。そして飲み込まれるのではなく共存体制を敷くことを描いていると見る。2012年までに彼らが何らかの手を打つ、北朝鮮に何かの変動が起きる。それを米中ロ日韓がどう見てどう行動するのかが問われているのではないか。

 

12.帰国後、私の通った国境一帯が大洪水に襲われた。426日キム・ジョンイルは再び、三度の大災害を受け中国に援助を求めるためチーリン吉林に出向いた。(北京へ行く路線が冠水しストップしたためではないかと思う)。胡錦涛との会談では新しい体制について理解を求めたに違いない。私は中国が6カ国協議の単なる仲介役であることを超えて、もっともっと国際的イニシアティブを発揮し、援助ももっとしてしかるべきだと思う。中国内にも多数の朝鮮族がいる。民族的にも切り離せない。アメリカにも、カーターが捕虜交換でピョニアン入りした(824日)という動きがある。これも一つのサインだろう。

 

1394日、北朝鮮は韓国に食糧援助を求めた。哨戒艇爆破などを思えば、重要な動きと見える。韓国の反応は冷ややかでわずかなコメを送っただけだったが、今後イ・ミョンパク李明博政権が北との融和という現実路線に動く可能性は捨てられない。ケソン(開城)で秘密会談がおこなわれ、離散家族再会も始まる。光復節815日に1兆ドルに上る「統一税」をイ・ミョンパク李明博が提案した。北を支えるには3220億ドル国民一人当たり5000ドル、崩壊すれば21400億ドル、国民一人当たり37000ドルという試算もある。ドイツ統一後西ドイツ国民が連帯税として負担した金額は2兆ユーロ、220兆円。さらに中国は2013年にヤールーチアンの下流に新しい橋を建設して朝鮮への物流の新しい動脈にすることで金正日と合意したという。北の東側の港町羅津区に経済特区も作った。

6者会議で北朝鮮を説得して、核開発の放棄、拉致の謝罪など国際社会の主張を受け入れさせ、さらに制裁緩和、南北融和へと踏み出す好機が訪れようとしている、と私は思う。

 

14. 日本はどうする。拉致問題については国際的な世論で包囲することが不可欠だ。それはかつてのセルビアの民族浄化に対し、ミロソヴィッチ大統領を国際法廷で裁くまでに至った道のりを想起すれば、不可能なことではない。人道への罪だとの認識にどうしたら北朝鮮も立つように変化させることができるのかが問われているのだ。そして6者会談ではアメリカ頼りではなく日本は積極的なイニシアティブをとる覚悟がいるだろう。日本の政治家、外交当事者の力量が試される。北朝鮮復興のプログラム立案し、世界に提示することは日本の責務であろう。そしてそれへの財政的な裏付けも必要だ。

北朝鮮と日本の間には外交上のパイプ一つない、手がかりがない、アメリカだけが頼りだ、という事態が続いている。ほんとにそうか。私は公式統計だけでも60万人近い在日が存在するという事実を重く見る。彼らと提携すれば、いくらでも話し合いの糸口はあると考える。ただそれをアドヴァンテージとして活用する政治家、財界人、文化人がいないのが悲しい。

 

15  私はさらに視野を広げたい。私たちは86日ピョンアン平壌の西にあるトッコリ徳興里古墳、その北側の江西(カンセ)三墓を訪れた。2004年世界遺産に登録された高句麗(コクリョ)古墳群である。そこで私は奈良、高松塚古墳の壁画の源流ともいうべき壁画群を目の当たりにすることになった。高松塚古墳では壁画にカビが生じ、切り取って修復展示しているが、ここでは地底に壁画が現存している。墓の一つは文字が記されていて408年と確定できる。高松塚古墳は700年前後に作られているから、朝鮮から見て300年ほど後である。満洲から朝鮮中部にかけて巨大な王国を築き、新羅、百済と併存した高句麗(コグリョ)はやがて唐に滅ぼされ、高官、貴族、技術者らが大和など日本各地に逃れた。7世紀から8世紀にかけての大和は、中国東北部、朝鮮半島を包含する東アジア文化圏の一部であったことをひしひしと実感したのであった。

 

16.もし朝鮮半島の北半分が国際社会に復帰すれば、ふたたび我々が東アジア文化圏を形成し、政治、経済、社会で世界をリードする存在になることは可能だ。思えば北京ピョンヤン(平壌)はほぼ1000キロ、京都ピョンヤン(平壌)も直線距離で1000キロである。

日米同盟に固執するのではなく、歴史を共有する東アジアの一員として政治や経済の新しい発展を見ることができる変化の入り口が見えている。だが扉はまだ開かれていない。


posted by media watcher at 17:16| Comment(2) | TrackBack(1) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
隅井孝雄さま
京都では楽しい時間をありがとうございました。北朝鮮訪問読みました。私も韓国時代劇の「朱蒙」「風の国」にはまってから、高句麗にとても興味を持っていて、東アジア文化圏の話は刺激を受けました。私のHPのリンクの欄に、隅井さんのメディアウオッチを張りつけました。ちっと遅かったと思っていますが、、。結構毎日見ていますので、更新してくださいね。ありがとうございました。
Posted by 横井久美子 at 2010年11月26日 09:22
隅井孝雄様
京都では楽しい時間をありがとうございました。今、高句麗に関心をもっているので、東アジア文化圏の話とても刺激を受けます。
私のHPの表紙にあるlinkにも張りつけました。結構見ていますので更新楽しみにしています。
Posted by 横井久美子 at 2010年11月26日 09:27
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