2009.6.23
揺れるNHKその2 「坂の上の雲」への批判の動き、日露戦争の歴史観をめぐって
舞鶴ロケ始まる
NHKが鳴り物入りで宣伝している「坂の上の雲」のロケが本格化し、放送日も2009年11月に決まった。6月15日の京都府舞鶴ロケでは、海軍大臣山本権兵衛(石坂浩二)が軍港舞鶴を訪ねるシーンが撮影された。鎮守府長官東郷平八郎(渡哲也)に会うためである。舞鶴には明治時代の赤煉瓦街が残っているのに加え、鎮守府長官官邸も残っている。この訪問で山本権兵衛は東郷に連合艦隊の司令長官抜擢することを告げる。また京都市内の府庁本館も明治時代の建造物としてロケに使われた。
番組批判のシンポジウム7月18日
ところがそのおひざ元の京都で7月18日NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲を考える」というシンポジウムが開かれる。奈良女子大学名誉教授の中塚明氏の講演とパネル討論という内容だ。中塚教授は歴史家の立場から司馬遼太郎の「明治栄光論」を批判する論文を書いている。「日本は日清、日露戦争を経て世界の大国の仲間入りをした。それは日本の朝鮮支配と表裏一体の関係にある」(前衛2009年6月号、NHK坂の上の雲を問う)というのが彼の立論だ。
NHKはこの番組の企画意図として「明治時代のエネルギーと苦悩をドラマとして描き、現代日本人に勇気と示唆を与えるものとしたい」、「(明治は)新たな価値観の創造に苦悩、奮闘した時代だった。この作品のメッセージは日本のこれから向かうべき道のヒントを与えてくれる」と広報資料に書いている。このような史観に異論が出るというのもまた当然だと思う。
司馬本人が望まなかったテレビ化、映画化
「坂の上の雲」は第一部が2009年11月から12月にかけて5回放送、続いて2010年秋に第二部4話が、2011年秋に第三部4話が放送される。3年がかりで13話という壮大なスペシャルドラマである。
しかし企画段階から茨の道を歩んだ。2000年頃企画が出されたようだが、司馬家の許諾が難航した後、脚本家の選定も困難を極めたと伝えられる。結局当時映画「破線のマリス」、フジテレビ「水曜日の情事」など話題作を次々に発表していた野沢尚が引き受けたが、2004年彼が自殺して暗礁に乗りあげた。今回はほぼ野沢脚本を生かす形で池端俊策、岡崎栄の監修による構成台本があがり、2007年1月ようやく制作発表にこぎつけた。
司馬遼太郎側の放送権に許諾が遅れた背景には次のような事実がある。司馬遼太郎自身が映画化、テレビ化を望んでいなかったからだ。1986年5月21日放送のNHK「ETV8」の中で本人が次のように語っている。
「坂の上の雲はなるべく映画とかテレビなど視覚的なものに翻訳されたくない作品であります。うっかり翻訳するとミリタリズムを鼓吹しているように誤解される恐れがありますからネ」この発言は1998年にNHK出版が出した「昭和という国家」の中にも採録されて残っている。
どこへ行くのか大型企画「プロジェクトJapan」
実は「坂の上の雲」はNHKが総力を挙げて取り組むという「プロジェクトJapan」 企画の一環である。それについてNHKのホームページでは次のように述べている。
2009年は「横浜開港150年」、2010年は「韓国併合100年」、2011年は「太平洋戦争開戦70年」、「サンフランシスコ講和条約60年」。近現代史の大きな節目の3年間「坂の上の雲」、NHKスペシャル、プロジェクト関連番組を多角的に展開し、これからの日本を考える大いなるヒントとしたい。
しかしその入口でNHKスペシャル「アジアの”一等国”」が右翼の抗議にさらされる一方、秋に登場する「坂の上の雲」もまた別の角度からの批判が待ち構えている。
私は一連の企画はNHKの制作者たちが議論を積み重ねた結果世に問う一大プロジェクトだと理解し、積極的なものとして受け止めている。ただ「坂の上の雲」は企画全体とはズレがあるように思えるのだが、第一部のクライマックスで日清戦争をどのように描くのか興味がある。
いずれにせよNHKの制作者たちは、さまざまな思惑を超えて番組の内容で真剣勝負してほしいと願うのみである。
「プロジェクトJapan」のホームページ
「坂の上の雲のホームページ」
http://www.nhk.or.jp/japan/sakanouenokumo/index.html


