2012年05月15日

町の誰もが聴いている、奮闘する「りんごラジオ」(宮城県山元町臨時災害局)  存続めざすが、支援が不可欠

 町の誰もが聴いている、
 奮闘する「りんごラジオ」(宮城県山元町臨時災害局)  存続めざすが、支援が不可欠

 4月下旬、仙台近郊の亘理郡山元町にある緊急災害放送局「りんごラジオ」を訪問した。仙台市から15キロほど南のこの地域は津波が3キロほど入り込み、家屋やいちご園、りんご園、農地を一掃した。町を貫通していた常磐線もいまだに不通のまま。農地にガレキが山積みで、復興のめども立っていない。
「りんごラジオ」は山元町役場の一角にあった。庁舎が被災し、プレハブ数棟で業務が行われている。60uほどの「りんごラジオ」もそのプレハブの一つだ。
 お昼の放送の最中にもかかわらず放送局長の高橋厚さんが私を迎え入れてくれた。
 高橋さんは元東北放送(仙台)のアナウンサー。退職後この町に移り住んでいた。震災後わずか10日で放送開始にこぎつけたのは高橋さん力が大きい。数年前この町にコミュニティー放送をという動きがあり、そのときに協力してくれた新潟県の「FMながおか」(中越地震の経験がある)が、放送機材を山越えで運んできてくれた。
 地震で防災無線のアンテナが倒壊、山元町の人々には数日間何の情報も届かなかった。福島県の県境まで6キロほどであるため、放射能情報は今でも欠かせない。
 山元町のラジオの活躍ぶりは、海外からも注目され、私が訪れた前日にはフランスのテレビ局が取材に来たという。永六輔さんが応援に駆けつけ、3時間の生放送、竹下景子さんが出演した朗読も放送され町の人々を激励した。今は議会や、小学校の入学式など町のすべてを実況生放送している。
現在19局が放送を続けている岩手、宮城、福島の緊急災害放送局は岐路に立たされている。国の災害緊急雇用事業や自治体の予算で支えられているが、1〜2年後には打ち切られる。放送を続けたいが、財政の保障がないのだ。
 「りんごラジオ」は2年後2014年3月に一般のコミュニティーラジオに移行しようと準備を進めている。被災地の復興は未だ緒についていないところがほとんどだ。災害地の19局に全国的な財政支援が必要だと思った。(隅井孝雄)
 この記事は5月14日赤旗しんぶんテレビ特集欄のコラム「波動」に掲載された。


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2012年05月14日

NHK経営委員長が、東京電力社外取締役に内定????(5月14日)。あり得ない人事に、驚愕。直ちに就任撤回すべきだ

 NHK経営委員長が、東京電力社外取締役に内定????(5月14日)
            あり得ない人事に、驚愕。直ちに就任撤回すべきだ

 最近の一部報道によればNHK経営委員長数土文夫氏が東京電力の社外取締役に内定したと伝えられる。私は「本当なのか」とわが目、わが耳を疑った。
 東京電力は報道機関にとって重要な取材対象であり、NHKは客観的な取材、報道が求められていることは言うまでもない。また東京電力は原発事故以降、株式の過半数以上を国が保有する、事実上の国営企業である。その意味でNHKの経営や、番組についての管理監督の任にある最高責任者の経営委員長が東京電力社外取締役に就任することは、国の原発に関する施策に対する検証、批判を放棄し、容認することにもなる。
私は数土経営委員長が現職のまま、東京電力社外取締役を兼務することは、NHK報道現場の原発、電力問題の取材と報道の努力に冷水を浴びせかけ、NHKへの国民、視聴者の信頼を一挙に崩し去ることになると思う。
私自身が参加している「開かれたNHKをめざす全国連絡会」は、有識者とジャーナリズム関連団体により構成されている。過去NHKの経営の公開を求め、また報道姿勢を正す活動を行ってきた。今回の経営委員長の東電社外取締役就任はNHKの経営姿勢、報道姿勢にとって看過出来ない行為だとして、緊急に経営委員会に対し、下記のような申し入れを行った。
 申し入れは経営委員長宛であるが、他ならぬ経営委員長が直接関与している問題であるため、合わせて経営委員会の委員各位に対しても申し入れを行った。
 以下申し入れの原文を二通掲載する。

 NHK経営委員長 数土文夫殿, 申 し 入 れ 書 
2012年5月14日, 開かれたNHKをめざす全国連絡会

 日頃、よりよい公共放送実現のためにご尽力いただき深く敬意を表します。
マスコミ報道によれば、政府と東京電力は東京電力の社外取締役に現NHK経営委員長の貴殿を内定し、東京電力は3月期決算の発表とあわせて社外取締役就任を発表する予定と伝えられています。
 私たち「開かれたNHKをめざす全国連絡会」は、NHK経営の最高意思決定機関である経営委員会の長が、現職のまま東京電力の社外取締役に就任することに強く反対し、即刻就任撤回を求めます。
NHKの経営委員会の長が、政府が株式の半数以上を保有し、実質上、国有企業でもある東京電力の社外取締役になるということは、報道機関であるNHKにとって自殺行為を意味しており、由々しい事態と考えます。政府や東京電力を監視すべき立場のNHKの最高経営責任者が、政府の国策会社に社外取締役とはいえコミットすることは、政府のエネルギー政策や東京電力に関するNHKの報道・論評活動に有形無形の形で大きな影響や制約を与えずにはいません。。
 それでなくとも、さまざまな問題点をかかえている東京電力への経営委員長の関与は、NHKの報道機関としての中立性に疑問を抱かせ、NHKと視聴者との間に存在する信頼関係をも大きく損なう恐れがあります。
現在、東京電力はもっとも重要な取材対象のひとつです。原発事故の責任、原発再稼動の是非、値上げ問題等どれをとっても、NHKにとって距離をおいて客観的に取材、報道、論評が求められているときに、その報道対象の企業の役員にNHKの経営委員長が現職のまま就任するというのは、NHKの使命についての驚くべき鈍感さを示すものです。
 私たち「開かれたNHKをめざす全国連絡会」は、貴殿が東京電力の社外取締役就任の意思を即刻撤回をすると同時に、今回とられた行動に対して強く反省することを求めます。
また経営委員会、監査委員会に対しては、二度とこうした誤ちが繰り返されないよう、あらためて明確な意思統一を求めるものです。

(世話人)松田 浩 (メディア研究者・元立命館大学教授), 醍醐 聡(NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表・東大名誉教授),岩崎貞明(『放送レポート』編集長),隅井孝雄(メディア研究者・京都ノートルダム女子大学 客員教授)
(参加団体)NHK問題大阪連絡会, NHK問題京都連絡会, NHK問題を考える会(兵庫),NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ, 放送を語る会, 日本ジャーナリスト会議

 NHK経営委員会 委員各位、申 し 入 れ 書 、2012年5月14日
開かれたNHKをめざす全国連絡会

経営委員の皆様には、日頃、よりよい公共放送実現のためにご尽力いただき深く敬意を表します。
最近のマスコミ報道によれば、政府と東京電力は東京電力の社外取締役に現NHK経営委員長の数土文夫氏を内定し、東京電力は3月期決算の発表とあわせて、数土氏らの社外取締役就任を発表する予定と伝えられています。
 私たち「開かれたNHKをめざす全国連絡会」は、NHK経営の最高意思決定機関である経営委員会の長が、現職のまま東京電力の社外取締役に就任することに強く反対し、数土委員長に即刻、就任撤回を求めます。
NHKの経営委員会の長が、政府が株式の半数以上を保有し、実質上、国有企業でもある東京電力の社外取締役になるということは、報道機関であるNHKにとって自殺行為を意味しており、由々しい事態と考えます。政府や東京電力を監視すべき立場のNHKの最高経営責任者が、政府の国策会社に社外取締役とはいえコミットすることは、政府のエネルギー政策や東京電力に関するNHKの報道・論評活動に有形無形の形で大きな影響や制約を与えずにはいません。。
 それでなくとも、さまざまな問題点をかかえている東京電力への経営委員長の関与は、NHKの報道機関としての中立性に疑問を抱かせ、NHKと視聴者との間に存在する信頼関係をも大きく損なう恐れがあります。
現在、東京電力はもっとも重要な取材対象のひとつです。原発事故の責任、原発再稼動の是非、値上げ問題等どれをとっても、NHKにとって距離をおいて客観的に取材、報道、論評が求められているときに、その報道対象の企業の役員にNHKの経営委員長が現職のまま就任するというのは、NHKの使命についての驚くべき鈍感さを示すものです。
 私たち「開かれたNHKをめざす全国連絡会」は、数土経営委員長が東京電力の社外取締役就任の意思を即刻撤回をすると同時に、今回とられた行動に対して強く反省することを求めます。
また経営委員会、監査委員会に対しては、二度とこうした誤ちが繰り返されないよう、あらためて明確な意思統一を求めるものです。

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2012年05月07日

水俣病公式確認から56年、ETV特集「花を奉る、石牟礼道子の世界」が水俣病の本質を伝える。

水俣病公式確認から56年、ETV特集「花を奉る、石牟礼道子の世界」が水俣病の本質を伝える。

水俣病が公式確認されて56年。5月1日、水俣市で慰霊祭が開かれた。患者、遺族はもとより、国からは細野環境大臣も出席した。これまでに認定された人は2273人、多くがすでに亡くなっている。現在認定を申請中の人は57000人に上り、そのほかにも未申請の潜在患者の数も多い。国は申請の期限を7月末とくぎり、しかも一時金の支給で終止符を打とうとしている。慰霊祭に参加した細野環境大臣は「解決に全力を挙げる」と述べたが、患者や支援者は、国に対する批判を強めている。

ところで、今年2月26日NHKETV特集「花を奉る」という番組が放送された。半世紀にわたって水俣病と向き合った石牟礼道子が大震災を体験して改めて水俣を見つめ直した番組である。優れた番組なのでギャラクシー賞に推挙した。以下はその番組評である。
月刊放送批評誌「Galac」2012年5月号に掲載された。

 番組評 ETV特集 「花を奉る、石牟礼道子の世界」 2012年2月26日放送

苦界浄土の石牟礼道子。この番組は半世紀にわたって水俣病と向き合い,水俣の海の自然と生きた彼女の人生をたどりながら、彼女と共に近代文明と国家を深く考えた。
冒頭石牟礼道子が2011年4月東北大震災と福島原発事故の際筆を執った詩作が紹介された。[現世はいよいよ地獄とは言わん,虚無とは言わん。ここに於いてなお一輪の花の力を念じて、合掌す」と彼女は詠んだ。
「チッソ」は近代工業の先端と謳われた。55年の歳月を隔てて「原発」は人類の未来を切り開くと喧伝された。その二つを重ねたこの番組の構成は重く私たちの心を打つ。番組そのものでは津波やフクシマのことが語られるわけではない。あくまでも水俣の歴史を振り返り、水俣への思いを石牟礼道子自身が語る。しかし見る者は一年前に私たちを襲った厄災を重ねて看る。「言外に語る」とはこういうことを言うのだろうか。
水俣病特別措置法の申請期限7月末という節目での作品でもある。認定されない数多くの患者をも救済すると国は言うが、一時金の支給ですべて終止符を打とうとするものだとの強い批判がある。全面的救済を巡っての一種のキャンペーン報道という側面もこの番組にはある。だが根底にはそれを超えた国家に対する疑問が横たわっている。石牟礼道子の心の中には、敗戦を境に180度転換した体験に起因する不信の感情がある。それは「フクシマ」を経験した今の日本人の共通の心情でもあるだろう。
画面はパーキンソン病を患う石牟礼道子の表情をクローズアップで写し出し続けることによって、怒りの念と自然に対する憧憬の二つを同時にとらえた。そして激しさをうちに秘めながらも、穏やかなリズムの流れの中で一つ一つ花びらを置くように描いた石牟礼道子の作品ありようを紹介した。長谷川勝彦のナレーション、上田早苗の朗読が、そのリズムを的確に表現して、「花を奉るような」詩的世界を再現しているように私には思えた。(隅井孝雄
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2012年03月28日

3月11日のテレビ 鎮魂の向こうに見える日本の深淵を思う(報道、ドラマ、音楽)


 地震、津波、原発・・・。巨大災害が日本列島を襲って一年、3月11日の前後にテレビ各局が力を込めた特集番組が放送された。私が録画した番組(3/4-3/18)だけでも39番組68時間にのぼる。
 数々の番組が命を失った人々への追悼の意味を込めた一方、原発災害の番組が少なかったのは残念だが、出色な番組が二本あった。「放射能汚染地図5,埋もれた初期被ばくを追え」(ETV特集3/11)。スタッフは被災直後から現地に入り、放射能データーを刻々番組にしてきた。今回はとりわけ児童への影響が懸念されるヨウ素131の実態データーを追跡した。解析が進めば将来起こりうる事態に備えることが出来る。
 原子炉廃棄物の処理に正面から向き合った「行くも地獄、戻るも地獄」(NNNドキュメント3/11)は「核燃料棒などのゴミを処分することが出来るのか」という問いかけで始まった。スリーマイル原発の高レベル廃棄物の行方を追い、日本やアメリカが廃棄施設を作ろうともちかけたモンゴルなど多面的に取材、人類が背負い込んだ解決出来ない「厄災」の実態を追った。
 報道番組以外にも忘れられない特集があった。ドラマでは新聞社の震災を描いた二作品が競った。「ガレキの中の新聞社、河北新報の一番長い日」(テレビ東京3/4)と「石巻で何か、6枚の壁新聞」(日本テレビ3/6)。ともに新聞社そのもの、記者自身が被災しながら、自らの体験として伝えていくその姿に感動があった。避難所で紙面を取り囲んでむさぼるように読む様子に、新聞が情報を整理しながら伝える重要性が浮き彫りになっていた。
 驚くほど状況に連動した音楽番組も放送された。「3月11日のマーラー」(NHK3/10)は震災当日開催されたコンサートを描いた。曲はマーラーの交響曲第五番。葬送で死者を悼み、嵐に見舞われた後、希望の光が差す。150人の観客の前でオーケストラは渾身の演奏を繰り広げた。震災で命を失った人々への荘厳極まりない鎮魂であり,私たちへの勇気と希望の光を与えるものであった。(隅井孝雄、ジャーナリスト)

この記事は2012年3月19日の赤旗しんぶんテレビラジオ面のコラム「波動」に掲載されたものです。
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2012年02月19日

強まるメディアへの批判。強まる民衆の発信力。新たなメディア秩序の構築を求める。

以下の記事は2月11日和歌山市で開かれた「平和・人権・民主主義2・11集会」での講演要旨です

原発報道、沖縄、政局報道などが批判にさらされています。メディアは政財界の側に立って国民の意識を誘導して来たのではなかったかという批判です。人々が、マスメディアの状況におし流されているという現実もあります。世界では、民衆の力を増幅させる新しい情報手段の動きも顕著です。日本の民主主義とこれからのメディアの可能性も考えます。

1. 原子力の平和利用に期待する動きは第二次大戦直後がからありました。しかしそれを国際政治のパワーバランスの中で考える政治家が現れました。アイゼンハワーです。その意向を日本の国内政治に活用し使用とした政治家が、読売グループを率いていた正力松太郎です。日本テレビで1957年(昭和32年)1月に放送された「我が友原子力」をご覧下さい。

2.1970年代以降、各地の原発建設による環境への影響が懸念されるようになりました。1974年原子力船「むつ」の放射能漏れ事故は心配を増幅しました。そしてスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故。新聞もテレビも危険性を取り上げる報道をしきりに行いました。プルサーマル計画と、廃棄物の処理、核兵器との関連なども問題になりした。

3.政府、財界、原子力産業はトラブル隠の一方、「日本の原子力は安全だ」という神話づくりに乗り出し、原発の建設や核再処理計画を進めました。放送では制作スタッフの配置転換が行われ、原子力産業、電力会社の広報番組が次々に登場、メディアはいつの間にか安全神話の一翼を担うようになりました。広報費は年間1000億円にのぼりました。

4.2011年3月11日関東、東北を大震災と津波の影響で、福島原発は12日、13日、14日に次々に水素爆発が起しました。炉心溶融が起きていたとみられます。政府の発表や東電の会見では安全が保たれている、人体に影響がない、チェルノブイリほど危険ではないと言われ続けました。放射能の情報もないまま、脱出する人々が危険な方向に向かいました。アメリカ、フランス、ドイツなどは状況をかなり把握していました。政府が危険度レベル7としたのは一ヶ月後の4月12日、メルトダウンの可能性を東電が口にしたのは2ヶ月後5月12日以降。なぜこんなことになったのでしょう。

5.ニュースは記者会見での発表に依存せざるをえませんでした。しかし「不都合な真実」は明らかにされませんでした。メディア側には事実を把握出来ないまま、炉心溶融などの可能性を口にすることは、パニックをあおることにならないかと言うためらいもありました。取材解説する専門性の高い記者、プロデューサーも一部にはいましたが、大部分が専門外。東電の言い抜けを容認する結果となりました。東電と一部メディアの癒着も問題になりました。欧米のメディアの場合、国連、ホワイトハウスなど例外を除いて「記者クラブ」はありませんしきりにプレスリリースが流され、記者発表の呼びかけもありますが、それぞれ個人のジャーナリストが参加するかどうかを決めます。取材先からとの関係ではかなり厳しい倫理規定があり、お茶代は自分で払う。贈り物などは一切受け取りません。

6.記者クラブは1890年帝国議会の開設にあたって、取材を認めない議会、政府に対し団結するため、個人の記者たちが禁止措置に対抗して集まったことが源流です。1941年(昭和16年)太平洋戦争前夜、新聞統制令で記者クラブも翼賛化しました。戦後アメリカ占領軍は記者クラブの解体をはかりましたが、新聞側は「親睦団体」だとして存続することになりました。2002年EUが記者クラブは排他的保護主義であるとして撤廃を要求。一部記者クラブが外国記者やフリージャーナリストに開放されてはいますが、まだまだ閉鎖的です。

7. 1960年代、日本のメディアは安保闘争やベトナム反戦運動を経験し、まだまだ批判抵抗精が旺盛でした。1972年4月、返還に際して密約があったことを明らかにした毎日新聞の記者が逮捕起訴され、有罪となりました。沖縄返還を巡る日米密約がうやむやになりました。沖縄本土返還という名で、アメリカが基地を継続して使用することを認め、沖縄の現状を固定してしまいました。沖縄の苦難は今も続いたままです。同じ頃、アメリカでは政府のベトナム戦争秘密文書がニューヨークタイムスに掲載されました。アメリカ最高裁は、「国家の機密より市民の知る権利、報道の自由が優先する」(1971年6月)という判断を示し、日米で明暗が分かれました。

8. こうした状況でメディアの情報を正しく受け取ることが大切です。放送の場合定時ニュースは出所を確かめましょう。異なったメディアの報道を読み比べ、確かめましょう。コメンテーターは信頼性を確かめましょう。調べて分析する報道番組を選んでみましょう。読者や視聴者の声をメディアの中に反映させる働きかけも必要です。

9. ネット時代、エジプトではインターネットで若者が革命を成功させました。ニコニコ動画は出席することの出来る記者会見を省略することなく全部中継します。質問はランキングなどのシステムを活用して、視聴者が寄せる疑問、意見を政治の世界にぶつけます。
震災で災害臨時放送局が活躍しています。ケータイもテレビもパソコンも流され頼りは電波で届く一台のラジオでした。被災地以外でも小回りのきくコミュニティー放送が見直されています。2008年開局の和歌山のNPO局Sweet FMが注目されています。

10. 大手メディアの一部に政界と癒着する動きがあり批判が強まっています。読者離れ、広告離れが経営を揺るがし、記事の質の低下が起きています。その一方新しいメディアのトレンドとして市民メディア、NPOメディア、コミュニティーメディアが力を得ています。新聞の信頼度が低い韓国では、インターネットを駆使する市民メディアが影響力を行使しています。アメリカでは大手メディアの調査報道の衰退を憂いた寄付金を基盤としたNPOメディアによる取材による質の高い記事が注目されています。21世紀、市民とメディアの関係は変化の入り口に立っています。
posted by media watcher at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 隅井孝雄のメディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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