NHK紅白レディー・ガガの歌詞、一部スキップと抗議の動き、強烈な反人種差別、性差別歌詞を字幕から閉め出した?
紅白歌合戦に出場したレディー・ガガの歌詞字幕が問題になっている。
ガガは12月31日NHK [ 紅白歌合戦]に録画で出演、You and IとBorn This Wayの二曲を歌った。
問題は二曲目。この曲は元々、差別に抗して自分自身を生きようと、苦しみの中にある人々を励ますメッセージ性の高い曲。NHKの字幕の中にさらりと「貧富の差も、肌の色も、国籍も関係ない」、「性的好みなどどうでも良い」と訳が出るのだが、彼女の英語の歌詞はきわめて具体的だ。
字幕の部分のガガの英語は次のようなものだ。
Whether you’re broke or evergreen
You’re black, white, beige, chola descent
You’re Lebanese, You’re Orient
Whether life’s disabilities
Left you outcast, bullied, or teased
Rejoice and love yourself today
No matter gay, straight, or bi
Lesbian, transgendered life
I’m on the right track baby
I was born to survive
NHKの字幕と実際の歌詞の間には大きな開きがある。
「肌の色も、国籍も」は正確に言えば「黒人、白人、混血、ヒスパニック、レバノン人、東洋人」であり、「性的好み」も「ゲイ、ストレート、バイセクシャル、レスビアン、トランスジェンダード」と詳細に述べられている。トランスジェンダードはまだなじみが薄い言葉だが、日本では「性転換者」あるいは「性同一性障害者」と依然として差別感の残る呼ばれかたでされている。それはさておいて、字幕では表面的な歌詞に聞こえるのだが、ガガが社会の片隅に追いやられ自信を失っている一人一人に「自信を持って立ち向かおう」と非常に強いメッセージを送っていることが良くわかる。
この歌を選んだ彼女は東日本大震災の被災者への激励の気持ちをも込めていたに違いない。震災直後から支援を呼びかけ、7月には東日本を訪れたコンサートを開いている。もう一曲のYou and Iでは歌詞の一部を変えて日本への親近感を示した。
NHKがテレビの字幕を省略したのは理解出来ないわけではない。何しろ、テンポの速いロックやラップのリズムに歌詞がぎっしりつまっているのだ。NHKを批判するものではないが、結果として彼女の激しい社会的メッセージが薄められたことは疑いのない事実だ。それはテレビの限界を示しているものなのかも知れない。
それでも私はレディー・ガガの歌が、視聴率40%を超えた番組の中で放送され、多くの人々に心に届いたことは意味のあることではなかったかと思う。
Born This Way, YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=wV1FrqwZyKw
Born This Way, 日本語完訳つき
http://www.youtube.com/watch?v=1KPs0q9cT5g
2011年12月28日
隅井孝雄の選んだ2011年三大ニュース。@ 3.11大震災、福島原発事故、A世界で民衆の活発な動き。Bデジタルメディア、暮らしの中へ。番外。北朝鮮金正日死去
1.3.11大震災、原発事故
a)大震災、未曾有だが貞観地震を引き合いに出すまでもなく、数百年、1000年の単位でみれば頻繁に起きていた災害、日本列島は耐えて生き延びてきた歴史がある。日本人の礼儀正しさ、ある意味の忍耐強さは世界を感動させた。世界の支援が集中。北朝鮮やブータンからも支援が届いた。それを忘れず世界の中の一員として考え、行動するようにしたいものだ。欧米の音楽家の立ち上がりが素早かった。シンディー・ローパー、レイディー・ガガ、サラ・ブライトマンなど。
b)原発事故、痛恨の極み。私自身も、事故初期、希望的観測にとらえられ、早い沈静を願ったが・・。今後の事故処理、回復、立ち上がり、日常の取り戻しを世界が見ている。平和利用に幻惑されて声を上げなかった私たち自身を反省する必要がある。メディアも真価が問われている。カタルニア国際賞授賞式(バルセロナ)で6月10日、村上春樹は「われわれ日本人は、核にたいするノーを叫び続けるべきだった。しかしいつの間にか、効率的ということで、原発依存に傾いてしまった」と語った。
2. チュニジア、エジプト、ウォール街、モスクワ…。世界で民衆の活発な動き
チュニジア1月24日ベン・アリ国外追放、エジプト2月11日ムバラク退陣、シリア、リビアも民衆蜂起。サウジアラビアで運転を認められなかった女性ドライバーがむち打ち刑を撤回させたのも同じ現象。ニューヨーク、オキュパイ・ウォールストリート9月中旬、東京、9月15日反原発集会6万人、ロンドン、アテネ、緊縮財政批判デモ、モスクワ、12月12日5万人、24日13万人の反プーチン、不正選挙批判集会。一連の動きは新しい世界像を生みだす可能性が大きい。
3.スマフォ、SNSなど、デジタルメディア、世界の暮らしの中に
世界の民衆もソーシャルネットワークなどを運動拡散の武器にしている。エジプト、ワニム・ゴニール、モスクワ、アレクセイ・ナバニールなど民衆のヒーローが誕生している。
日本ではテレビ完全デジタル化、7月27日。スマフォ、iPadの急速な普及が進んだ。ラジオもネットと連動で媒体価値を再評価されている。そのさなか、新しいIT時代を切り開いたスティーブ・ジョブスの死去が伝えられた。電子書籍、3D映画も一般化。新しいコミュニケーション時代の幕が開いている。
番外 北朝鮮金正日死去
私は2010年1月ピョンヤン旅をした。今日の変化は予測できたが、キム・ジョンウン(金正恩)への権力移行は2012年とみられていた。だが今のところ大きな変化にはつながらないのではないか。疲弊した朝鮮人民の立ち上がりも困難だろう。中国も現状維持を望んでいる。世界各地の朝鮮民族(南北朝鮮、中国、ソビエト、日本、その他の地域)の大同団結による現状打破が望まれる。世界はもっと北朝鮮民衆の苦境への支援を強める必要がある。
以上は京都三条ラジオカフェ、FM797,12月30日放送の「グリーンコミュニケーション」
への出演コメントである。
2011年12月20日
オーストリア国歌「山岳の国、大河の国」の歌詞手直し、1月1日から。「偉大なる息子達」を「偉大なる娘達、息子達」に、男女平等を盛り込む。カナダ国歌にも同じ動き
2012年1月1日オーストリア国歌が変わる、男女平等を盛り込む
オーストリアの国歌「山岳の国、大河の国」が2012年1月1日から変わる。歌詞の一番の中に「未来豊かな偉大なる息子達の故郷」とある部分が「未来豊かな偉大なる娘達、息子達の故郷」になる。
国歌にも男女平等をという考えは1990年代からあったが、中道左派の「社会民主党」政権の元で、昨年教育改革キャンペーンの一環として男女同権の意味合いを込めた国歌の替え歌が歌われたことがきっかけとなった。国歌の一部に「娘達よ」を付け加えて歌ったのは、オーストリアで最も高い人気を誇るポップス女性歌手クリスティーナ・シュトーマー(「天使が孤独の中を飛んでいる」というヒット曲がある)だった。
シュトーマーの歌はテレビでも流れ、世論は沸騰したが、社民党は連立与党である国民党の説得に成功。AP通信と地元紙によると国歌改正法は12月7日に国会で承認された。改正の先頭に立った社民党のギーゼラ・ヴルム議員は「真の男女同権をめざす画期的な改正だ」と手放しで喜んでいる。
しかし同じ女性議員であっても右派の自由党議員ハイデマリー・ウンターライナー議員は「国歌を軽いものにおとしめた非文化的な行為だ」と批判、別の右派野党の議員ステファン・ペツネル議員は「我々は歌いたいように歌う」と国歌を従来どおりの歌詞で歌うと発言している。
カナダにも同じ動き、今は男女平等論議凍結中だが
オーストリアのこの決定はカナダにも波紋を広げている。12月8日の「オッタワ・シティズンズ」紙によると、カナダ政府はオーストラリアの動きに「同調することはない、我々カナダ国民は国歌に誇りを抱いている」とスティーブン・ハーパー首相の秘書官が語った。
昨年野党のナンシー・ルース議員がカナダ国歌(O Canada)の英語歌詞変更を提案した。2010年バンクーバーでの冬期オリンピックでカナダの女子選手が6種目で金メダルを獲得するなどめざましい活躍したことから、国歌についての論議が起きたものである。ルース議員らの提案を受けて、ハーパー首相も一度は賛同、国歌変更法案が議会に提出されたものの、世論の反発があって、後にこの提案は撤回された。
ルース議員によるとカナダ国歌は1908年のロバート・スタンレー・ウイアーの詩であり原詩には「True patriot love thou dost in us command、我々すべてに流れる真の愛国心」とあったものを第一次大戦時(1914年)、兵士募集の便宜の為に「thou in all thy sons command、息子達のすべてに流れる」と書き換えたものであり、元通りsonをusに戻すべきだ」と主張している。ルース議員は「アフガニスタンの戦場にすら女性兵士が参加している現在、国歌の男女の平等を実現する必要がある」と語った。現在カナダの現政権は保守党だが、中道左派の自由党あるいは左派の新民主党に変わった場合、再び国歌の変更が論議の俎上にのる可能性がある。
国土の自然をたたえる国歌、果たして日本では?
ところでオーストリアの国歌は第二次世界大戦後の第二共和国の成立を受け、モーツアルトの曲に歌詞を付けて1946年に制定された。世界の多くの国歌が好戦的であるか、君主の栄光をたたえるものである中で、国土の自然をたたえる歌詞であることに特徴がある。同じような自然賛歌の国歌は韓国、チェコ、フィンランドなどに見られる。戦後につくられたドイツ国歌は民族の統一の願いがこもった歌詞が人々の胸を打ち、統一ドイツが実現した後も引き続いて国歌として歌われている。
ひるがえって日本の国歌を考えるとき、憲法の定める、主権在民、民主主義国家にはふさわしくない歌詞がそのまま残李、「君が代論争」は今も続いている。しかしこれを変えるということは当分起きそうにもないのが現状であろう。
震災を経験して思うのだが、日本の民衆が心を込めて、気持ちを一つにする歌はあるような気がする。たとえば小学唱歌の「故郷」、坂本九の「上を向いて歩こう」、あるいは美空ひばりの「川の流れのように」などが思い浮かぶ。一度「日本国民の心の歌」の人気投票でもしてみたらどうだろうか。
参考
オーストリア国歌日本語訳
山岳の国、大河の国、田園の国、聖堂の国、槌の国、未来豊かな偉大な息子たちの故郷、美の感覚により称えられる民、大いに賞賛されるオーストリアよ
http://www.ottawacitizen.com/news/canada-in-afghanistan/Canada+march+step+with+politically+corrected/5827693/story.html#ixzz1griEPL9u
http://www.washingtonpost.com/world/europe/great-daughters---in-nod-to-women-austria-amends-national-anthem/2011/12/07/gIQAMXXvcO_story.html
オーストリアの国歌「山岳の国、大河の国」が2012年1月1日から変わる。歌詞の一番の中に「未来豊かな偉大なる息子達の故郷」とある部分が「未来豊かな偉大なる娘達、息子達の故郷」になる。
国歌にも男女平等をという考えは1990年代からあったが、中道左派の「社会民主党」政権の元で、昨年教育改革キャンペーンの一環として男女同権の意味合いを込めた国歌の替え歌が歌われたことがきっかけとなった。国歌の一部に「娘達よ」を付け加えて歌ったのは、オーストリアで最も高い人気を誇るポップス女性歌手クリスティーナ・シュトーマー(「天使が孤独の中を飛んでいる」というヒット曲がある)だった。
シュトーマーの歌はテレビでも流れ、世論は沸騰したが、社民党は連立与党である国民党の説得に成功。AP通信と地元紙によると国歌改正法は12月7日に国会で承認された。改正の先頭に立った社民党のギーゼラ・ヴルム議員は「真の男女同権をめざす画期的な改正だ」と手放しで喜んでいる。
しかし同じ女性議員であっても右派の自由党議員ハイデマリー・ウンターライナー議員は「国歌を軽いものにおとしめた非文化的な行為だ」と批判、別の右派野党の議員ステファン・ペツネル議員は「我々は歌いたいように歌う」と国歌を従来どおりの歌詞で歌うと発言している。
カナダにも同じ動き、今は男女平等論議凍結中だが
オーストリアのこの決定はカナダにも波紋を広げている。12月8日の「オッタワ・シティズンズ」紙によると、カナダ政府はオーストラリアの動きに「同調することはない、我々カナダ国民は国歌に誇りを抱いている」とスティーブン・ハーパー首相の秘書官が語った。
昨年野党のナンシー・ルース議員がカナダ国歌(O Canada)の英語歌詞変更を提案した。2010年バンクーバーでの冬期オリンピックでカナダの女子選手が6種目で金メダルを獲得するなどめざましい活躍したことから、国歌についての論議が起きたものである。ルース議員らの提案を受けて、ハーパー首相も一度は賛同、国歌変更法案が議会に提出されたものの、世論の反発があって、後にこの提案は撤回された。
ルース議員によるとカナダ国歌は1908年のロバート・スタンレー・ウイアーの詩であり原詩には「True patriot love thou dost in us command、我々すべてに流れる真の愛国心」とあったものを第一次大戦時(1914年)、兵士募集の便宜の為に「thou in all thy sons command、息子達のすべてに流れる」と書き換えたものであり、元通りsonをusに戻すべきだ」と主張している。ルース議員は「アフガニスタンの戦場にすら女性兵士が参加している現在、国歌の男女の平等を実現する必要がある」と語った。現在カナダの現政権は保守党だが、中道左派の自由党あるいは左派の新民主党に変わった場合、再び国歌の変更が論議の俎上にのる可能性がある。
国土の自然をたたえる国歌、果たして日本では?
ところでオーストリアの国歌は第二次世界大戦後の第二共和国の成立を受け、モーツアルトの曲に歌詞を付けて1946年に制定された。世界の多くの国歌が好戦的であるか、君主の栄光をたたえるものである中で、国土の自然をたたえる歌詞であることに特徴がある。同じような自然賛歌の国歌は韓国、チェコ、フィンランドなどに見られる。戦後につくられたドイツ国歌は民族の統一の願いがこもった歌詞が人々の胸を打ち、統一ドイツが実現した後も引き続いて国歌として歌われている。
ひるがえって日本の国歌を考えるとき、憲法の定める、主権在民、民主主義国家にはふさわしくない歌詞がそのまま残李、「君が代論争」は今も続いている。しかしこれを変えるということは当分起きそうにもないのが現状であろう。
震災を経験して思うのだが、日本の民衆が心を込めて、気持ちを一つにする歌はあるような気がする。たとえば小学唱歌の「故郷」、坂本九の「上を向いて歩こう」、あるいは美空ひばりの「川の流れのように」などが思い浮かぶ。一度「日本国民の心の歌」の人気投票でもしてみたらどうだろうか。
参考
オーストリア国歌日本語訳
山岳の国、大河の国、田園の国、聖堂の国、槌の国、未来豊かな偉大な息子たちの故郷、美の感覚により称えられる民、大いに賞賛されるオーストリアよ
http://www.ottawacitizen.com/news/canada-in-afghanistan/Canada+march+step+with+politically+corrected/5827693/story.html#ixzz1griEPL9u
http://www.washingtonpost.com/world/europe/great-daughters---in-nod-to-women-austria-amends-national-anthem/2011/12/07/gIQAMXXvcO_story.html
タグ:オーストリア国歌
2011年12月16日
「反プーチン」の動き、ネットで上昇気流、大集会やデモロシア全土で次々、旋風の中心にいるブロガー、アレクセイ・ナヴァルニー
以下の記事は「ジャーナリスト」645号、2011年12月25日付、に加筆したものです。
モスクワで5万人集会、「プーチンはロシアにいらない」の声、谺する
モスクワの中心部、クレムリンを望む川沿いのポロートナヤ広場で、12月10日史上空前と見られる5万人のデモがあった。参加者は口々に選挙に不正があったとしてやり直しを求め、「プーチンはロシアにいらない、彼は盗人だ」などと叫んだ。不正現場の映像を国営放送は一切報じなかったが、多くの人がインターネットで視聴している。
12月4日の下院選挙でプーチン首相が率いる「統一ロシア」の得票率は46.5%だったが議席で過半数。人々はこの数字を信用していない。モスクワ市内での与党の得票率は23.5%だったというイギリスメディアの報道もある。
今回の「反プーチンデモ」にはiPadやスマートフォーンを手にした数多くの若者が参加していた。これには背景がある。ロシアでのツイッター利用者は若者を中心に6000万人とも1億人とも言われている。この若い世代に強い影響を与えている人物の一人にアレクセイ・ナヴァルニーという弁護士がいる。彼の姿は会場にはなかった。
選挙翌日の12月5日、一連のソーシャルネットワークが呼びかけて8000人もの民衆が自然発生的に赤の広場に集まった。その会場でナヴァルニーは警察に逮捕され15日間の勾留が言い渡された。以前から現政権の腐敗、汚職をブログやツイッターで流し、一般の市民に強い影響力を与えている。ツイッターのフォロワーは135,000人、ブログの読者は6万人に達する。彼は現政権を「詐欺師と盗人の集団」と呼んでいるが、それが10日の集会のスローガンともなった。プーチン首相とメドジェーエフ大統領の地位を入れ替える取引がさらに人々の怒りを買っている。
一連のニュースを見聞きして私は若者を中心とした民衆の怒りが現実の政治にインパクトを与える時代に突入しつつあると思う。エジプトなど中東諸国では民衆が死を賭して圧政と腐敗に対抗している。アメリカでは富の90%を独り占めする金融街の強欲を非難する長期に座り込みがあった。日本では脱原発をめざして東京明治公園に6万人(9月19日)、福島集会に1万人が(10月30日)集まった。私の見たオーストラリアABCは「日本のデモで警備の警官より参加者の数が多かったのを初めて見ました」と驚きをあらわにして伝えていた。このような民衆の立ち上がりの中でツイッターやフェースブックなどのインターネットメディアが大きな力を発揮しているのも新しい状況の一つだ。
モスクワの5万人のデモは日本の新聞が7段の記事(朝日新聞関西版)で報道しているのに、日本での原発反対デモの記事は目立つような扱いはなかった。歴史のうねるような流れに、目をつむっているわけにはいかないのではないか。
アレクセイ・ナヴァルニー、反体制の旗手、ブログに大きな反響
ところでブログでロシア政治に旋風を起こしているアレクセイ・ナヴァルニーとは何者なのだろうか。
ワシントンポスト(12月7日)によるとロシアのブロガー、アレクセイ・ナヴァルニーは現在のロシア政治の中で最も興味深い人物だという。BBC(12月6日)はこの5年来初めてのプーチンと正面から対決できる政治指導者が出現したという。
彼はここ数年ブログで政治の腐敗を問題にし続けている。議会選挙直後、彼は警官の支持に従わなかったとして勾留されたが、それは逆に彼の名声を高める結果となった。エコ・モスコヴィ・ラジオのニュース編集長、アレクセイ・ヴェネディコフは、逮捕は体制側の政治家にとっての失策であるとしている。逮捕によって、ネット上のヒーローから一挙にロシア全土のヒーローになったのだという。
ナヴァルニー35歳。商法の専門家で弁護士だが、2008年現政権の腐敗と専制に声を上げるブログを立ち上げて、ネット上の英雄となった。現在彼のブログは6万人の読者を持ち,ツイッターのフォロワーは13万人に達する。彼は政府および権力と癒着した大企業(ガスプロム、ロスネフト、トランスネフト、VTB銀行)を腐敗追及、大衆の喝采を浴びている。特に彼の名を高めたのは、国営石油パイプライン最大手のトランスネフト社の40億ドルに上る不正支出を、調査報道の手法で暴露したことである。BBCの報道(12月6日)によるとこの問題ではおよそ10万件の反響が寄せられ、影響力のある主要独立メディアが競って報道したという。また2010年にはドイツの自動車メーカーダイムラーが政府に賄賂を送ったことを暴露、ダイムラーに認めさせた。また健康省の高官と民間企業の癒着も暴いて、辞任に追い込んだ。
オンライン上の人気に対応するため、彼は最近Ropsi.infoというウエブサイトを新たに開設した。読者からは多額の基金が寄せられており、腐敗糾弾の専門サイトとして、法律専門家の専任の調査員を置いた。読者からの情報提供が続々と寄せられ、彼のキャンペーンの重要な武器になっている。
ナヴァルニーは今回の議会選にあたってプーチンの政党「統一ロシア」を「ゆすり、たかり、盗人の政党」と名付けて批判、このキャッチフレーズは大衆の反プーチン運動のスローガンとなった。「統一ロシア」がマニフェストを反故にしていることを描いたYouTubeの映像は180万回の視聴を記録した。
ナヴァルニーのスローガンに同調した小政党「正義ロシア党」はこれまで4-5パーセントだった支持率を13%伸ばした。他の野党勢力もネットを席巻するナヴァルニーに連携する意向を見せている。また、同じようにネット上で活躍している著名ブロッガー、ルステム・アダガモフ、オレグ・カシンらとも共同戦線を組むが、特定の政党に所属する意向はないという。ある左翼政党からの党首に迎えたいといオファーも断り、あくまでも独立して、行動すると宣言している。
モスクワで5万人集会、「プーチンはロシアにいらない」の声、谺する
モスクワの中心部、クレムリンを望む川沿いのポロートナヤ広場で、12月10日史上空前と見られる5万人のデモがあった。参加者は口々に選挙に不正があったとしてやり直しを求め、「プーチンはロシアにいらない、彼は盗人だ」などと叫んだ。不正現場の映像を国営放送は一切報じなかったが、多くの人がインターネットで視聴している。
12月4日の下院選挙でプーチン首相が率いる「統一ロシア」の得票率は46.5%だったが議席で過半数。人々はこの数字を信用していない。モスクワ市内での与党の得票率は23.5%だったというイギリスメディアの報道もある。
今回の「反プーチンデモ」にはiPadやスマートフォーンを手にした数多くの若者が参加していた。これには背景がある。ロシアでのツイッター利用者は若者を中心に6000万人とも1億人とも言われている。この若い世代に強い影響を与えている人物の一人にアレクセイ・ナヴァルニーという弁護士がいる。彼の姿は会場にはなかった。
選挙翌日の12月5日、一連のソーシャルネットワークが呼びかけて8000人もの民衆が自然発生的に赤の広場に集まった。その会場でナヴァルニーは警察に逮捕され15日間の勾留が言い渡された。以前から現政権の腐敗、汚職をブログやツイッターで流し、一般の市民に強い影響力を与えている。ツイッターのフォロワーは135,000人、ブログの読者は6万人に達する。彼は現政権を「詐欺師と盗人の集団」と呼んでいるが、それが10日の集会のスローガンともなった。プーチン首相とメドジェーエフ大統領の地位を入れ替える取引がさらに人々の怒りを買っている。
一連のニュースを見聞きして私は若者を中心とした民衆の怒りが現実の政治にインパクトを与える時代に突入しつつあると思う。エジプトなど中東諸国では民衆が死を賭して圧政と腐敗に対抗している。アメリカでは富の90%を独り占めする金融街の強欲を非難する長期に座り込みがあった。日本では脱原発をめざして東京明治公園に6万人(9月19日)、福島集会に1万人が(10月30日)集まった。私の見たオーストラリアABCは「日本のデモで警備の警官より参加者の数が多かったのを初めて見ました」と驚きをあらわにして伝えていた。このような民衆の立ち上がりの中でツイッターやフェースブックなどのインターネットメディアが大きな力を発揮しているのも新しい状況の一つだ。
モスクワの5万人のデモは日本の新聞が7段の記事(朝日新聞関西版)で報道しているのに、日本での原発反対デモの記事は目立つような扱いはなかった。歴史のうねるような流れに、目をつむっているわけにはいかないのではないか。
アレクセイ・ナヴァルニー、反体制の旗手、ブログに大きな反響
ところでブログでロシア政治に旋風を起こしているアレクセイ・ナヴァルニーとは何者なのだろうか。
ワシントンポスト(12月7日)によるとロシアのブロガー、アレクセイ・ナヴァルニーは現在のロシア政治の中で最も興味深い人物だという。BBC(12月6日)はこの5年来初めてのプーチンと正面から対決できる政治指導者が出現したという。
彼はここ数年ブログで政治の腐敗を問題にし続けている。議会選挙直後、彼は警官の支持に従わなかったとして勾留されたが、それは逆に彼の名声を高める結果となった。エコ・モスコヴィ・ラジオのニュース編集長、アレクセイ・ヴェネディコフは、逮捕は体制側の政治家にとっての失策であるとしている。逮捕によって、ネット上のヒーローから一挙にロシア全土のヒーローになったのだという。
ナヴァルニー35歳。商法の専門家で弁護士だが、2008年現政権の腐敗と専制に声を上げるブログを立ち上げて、ネット上の英雄となった。現在彼のブログは6万人の読者を持ち,ツイッターのフォロワーは13万人に達する。彼は政府および権力と癒着した大企業(ガスプロム、ロスネフト、トランスネフト、VTB銀行)を腐敗追及、大衆の喝采を浴びている。特に彼の名を高めたのは、国営石油パイプライン最大手のトランスネフト社の40億ドルに上る不正支出を、調査報道の手法で暴露したことである。BBCの報道(12月6日)によるとこの問題ではおよそ10万件の反響が寄せられ、影響力のある主要独立メディアが競って報道したという。また2010年にはドイツの自動車メーカーダイムラーが政府に賄賂を送ったことを暴露、ダイムラーに認めさせた。また健康省の高官と民間企業の癒着も暴いて、辞任に追い込んだ。
オンライン上の人気に対応するため、彼は最近Ropsi.infoというウエブサイトを新たに開設した。読者からは多額の基金が寄せられており、腐敗糾弾の専門サイトとして、法律専門家の専任の調査員を置いた。読者からの情報提供が続々と寄せられ、彼のキャンペーンの重要な武器になっている。
ナヴァルニーは今回の議会選にあたってプーチンの政党「統一ロシア」を「ゆすり、たかり、盗人の政党」と名付けて批判、このキャッチフレーズは大衆の反プーチン運動のスローガンとなった。「統一ロシア」がマニフェストを反故にしていることを描いたYouTubeの映像は180万回の視聴を記録した。
ナヴァルニーのスローガンに同調した小政党「正義ロシア党」はこれまで4-5パーセントだった支持率を13%伸ばした。他の野党勢力もネットを席巻するナヴァルニーに連携する意向を見せている。また、同じようにネット上で活躍している著名ブロッガー、ルステム・アダガモフ、オレグ・カシンらとも共同戦線を組むが、特定の政党に所属する意向はないという。ある左翼政党からの党首に迎えたいといオファーも断り、あくまでも独立して、行動すると宣言している。
2011年12月09日
民間放送還暦に達す、次々開局60年、KBS京都(ラジオ)は12月23日、24日、35時間の開局記念特番
民間放送還暦に達す、次々開局60年、
KBS京都(ラジオ)は12月23日、24日、35時間の開局記念特番
今年は民放開設60年。人間でいえば還暦にあたる。1951(昭和26年)に開局した民放第一期生は名古屋、中部日本CBC(9月1日),大阪、新日本放送NJB(9月1日)、朝日放送ABC(11月11日)、福岡、ラジオ九州RKB(11月1日),京都、ラジオ京都KHK(12月24日)、東京ラジオ東京KR(12月25日)の6局であった。CBC、NJB(現毎日放送)は共に民放のトップを切ったが、放送開始がCBC午前6時30分、NJB正午からと6時間30分の差でCBCが民放第一号の栄誉を獲得した。
ラジオ京都(現KBS京都)は免許申請が早く、予備免許交付がCBC(コールサインJOAR)
に次ぐ二番目だったためJOBRというコールサインを持つが、放送設備に手間取り、放送開始は民放5番目となった。
占領軍は戦後NHKを温存したが、競争原理を導入して放送に多元性を持たせたい,という意向を早くから示していた。日本国内にも戦時中の大本営発表という苦い経験から、言論の自由に立脚する民間の放送を持ちたいという考えがあり,また広告放送の導入で経済の活性化に結びつけたいという経済界の思惑もあり、5大都市で次々に民間放送の開設の波が起きたものである。
こうして誕生した民放は、いずれも新しい日本の復興、民主主義の推進、言論表現の自由達成を掲げ、速報性を武器にしたニュース、斬新な報道特集番組「録音構成」、ディスクジョッキー、電リクなど新鮮な音楽番組、芸術性豊かなテレビドラマ、公開放送による民衆参加などを売り物にして、瞬く間にメディアとしての発展を見せた。人々が初めて耳にするコマーシャル放送も人々の耳目を惹きつけ、消費の拡大に直結した。
私の住む京都では、ラジオ京都(現在のKBS京都)がクリスマスイブに華やかな公開放送で幕を開けた。
KBS京都では今年、開局60年を記念したラジオ特別編成を12月23日金曜日朝6時半から土曜日午後5時半にかけて35時間にわたり放送する。そのうち金曜日放送分はいずれもKBSホールからの生放送。
KBSでは「懐かしい音源も交えながら,リスナーと共に60年の歩みを振り返り、ここから新たな第一歩を踏み出します」と語っている。
以下は11月28日付けの「赤旗しんぶん」のコラム「波動欄」に掲載された記事の再録である。
KBSの60年と,民放の原点
11月23日、京都で「市民とともに60年、KBS京都のあゆみ、そしてこれから」という集会が開かれた。この局を支えてきた市民や放送関係者が集まって4時間にわたった熱心な討論が繰り広げられた。注目されたのはこの局が市民の要望をになって登場し、その後も現在に至るまで市民のためのメディアとしての歩みを続けてきたことであろう。
KBS京都(当時ラジオ京都)は1951年12月24日のクリスマスイブに放送を始めた。当時京都府知事であった蜷川虎三氏は「郷土色豊かな放送への精進をお願いし、日本の放送、世界の放送に高められるよう望みます」とメッセージを寄せ、局自体も「日本の民主化の一役をになう」と宣言した。その後この局は経営陣の不祥事で免許返上寸前まで追い込まれたが,労働組合の努力と京都の市民40万人の署名を原動力に再生を果たした。
1951年という年には名古屋、大阪、京都、福岡,東京などに次々に民放ラジオが開局、それまでNHKだけであった放送メディアの転換点となった。KBSより一足早く同年9月1日に開局した大阪の「新日本放送」(後の毎日放送)は「政府機関的性格を放棄した民間会社」(設立趣意書)として免許申請を行い,新しい民主日本の復興をめざした社名のもとで電波を出した。東京では「民衆放送局設立」準備が進み12月25日にラジオ東京(現TBS)として放送を始めた。初期の民放は積極的なニュース、報道番組、クイズ、ドラマ、音楽放送などで瞬く間に人々の心をとらえ、「新時代のメディア」として旋風を巻き起こしたのだった。
それから60年の今、3.11の大災害では、地方放送局が大きな役割を果たし、信頼度が群を抜いて高かった(民放連調査10月21日発表)ことが報じられている。しかしその一方で大手メディア,全国メディアの災害、原発報道が不十分だという批判が強まってもいる。民放各局のラジオ・テレビが60年前の原点に立ち返ることが強く求められているといえるだろう。(隅井孝雄、ジャーナリスト)
KBS京都(ラジオ)は12月23日、24日、35時間の開局記念特番
今年は民放開設60年。人間でいえば還暦にあたる。1951(昭和26年)に開局した民放第一期生は名古屋、中部日本CBC(9月1日),大阪、新日本放送NJB(9月1日)、朝日放送ABC(11月11日)、福岡、ラジオ九州RKB(11月1日),京都、ラジオ京都KHK(12月24日)、東京ラジオ東京KR(12月25日)の6局であった。CBC、NJB(現毎日放送)は共に民放のトップを切ったが、放送開始がCBC午前6時30分、NJB正午からと6時間30分の差でCBCが民放第一号の栄誉を獲得した。
ラジオ京都(現KBS京都)は免許申請が早く、予備免許交付がCBC(コールサインJOAR)
に次ぐ二番目だったためJOBRというコールサインを持つが、放送設備に手間取り、放送開始は民放5番目となった。
占領軍は戦後NHKを温存したが、競争原理を導入して放送に多元性を持たせたい,という意向を早くから示していた。日本国内にも戦時中の大本営発表という苦い経験から、言論の自由に立脚する民間の放送を持ちたいという考えがあり,また広告放送の導入で経済の活性化に結びつけたいという経済界の思惑もあり、5大都市で次々に民間放送の開設の波が起きたものである。
こうして誕生した民放は、いずれも新しい日本の復興、民主主義の推進、言論表現の自由達成を掲げ、速報性を武器にしたニュース、斬新な報道特集番組「録音構成」、ディスクジョッキー、電リクなど新鮮な音楽番組、芸術性豊かなテレビドラマ、公開放送による民衆参加などを売り物にして、瞬く間にメディアとしての発展を見せた。人々が初めて耳にするコマーシャル放送も人々の耳目を惹きつけ、消費の拡大に直結した。
私の住む京都では、ラジオ京都(現在のKBS京都)がクリスマスイブに華やかな公開放送で幕を開けた。
KBS京都では今年、開局60年を記念したラジオ特別編成を12月23日金曜日朝6時半から土曜日午後5時半にかけて35時間にわたり放送する。そのうち金曜日放送分はいずれもKBSホールからの生放送。
KBSでは「懐かしい音源も交えながら,リスナーと共に60年の歩みを振り返り、ここから新たな第一歩を踏み出します」と語っている。
以下は11月28日付けの「赤旗しんぶん」のコラム「波動欄」に掲載された記事の再録である。
KBSの60年と,民放の原点
11月23日、京都で「市民とともに60年、KBS京都のあゆみ、そしてこれから」という集会が開かれた。この局を支えてきた市民や放送関係者が集まって4時間にわたった熱心な討論が繰り広げられた。注目されたのはこの局が市民の要望をになって登場し、その後も現在に至るまで市民のためのメディアとしての歩みを続けてきたことであろう。
KBS京都(当時ラジオ京都)は1951年12月24日のクリスマスイブに放送を始めた。当時京都府知事であった蜷川虎三氏は「郷土色豊かな放送への精進をお願いし、日本の放送、世界の放送に高められるよう望みます」とメッセージを寄せ、局自体も「日本の民主化の一役をになう」と宣言した。その後この局は経営陣の不祥事で免許返上寸前まで追い込まれたが,労働組合の努力と京都の市民40万人の署名を原動力に再生を果たした。
1951年という年には名古屋、大阪、京都、福岡,東京などに次々に民放ラジオが開局、それまでNHKだけであった放送メディアの転換点となった。KBSより一足早く同年9月1日に開局した大阪の「新日本放送」(後の毎日放送)は「政府機関的性格を放棄した民間会社」(設立趣意書)として免許申請を行い,新しい民主日本の復興をめざした社名のもとで電波を出した。東京では「民衆放送局設立」準備が進み12月25日にラジオ東京(現TBS)として放送を始めた。初期の民放は積極的なニュース、報道番組、クイズ、ドラマ、音楽放送などで瞬く間に人々の心をとらえ、「新時代のメディア」として旋風を巻き起こしたのだった。
それから60年の今、3.11の大災害では、地方放送局が大きな役割を果たし、信頼度が群を抜いて高かった(民放連調査10月21日発表)ことが報じられている。しかしその一方で大手メディア,全国メディアの災害、原発報道が不十分だという批判が強まってもいる。民放各局のラジオ・テレビが60年前の原点に立ち返ることが強く求められているといえるだろう。(隅井孝雄、ジャーナリスト)



